堺人物
當津古來名譽の人物を撰んでこゝに載す
宮尾道三
宮尾道三は今春及蓮の家人也
此地に來て上源町に住す
今春家傳の謡の中より又一流謳出すにより宮尾流とて世に用ゆ
これのみならず利休に隨ひ茶道を嗜む
此人の女は即利休の室となる
ある時短檠の柱の持所の手懸に燈心を持せける
これより後世此室家の好と賞じける
此地に來て上源町に住す
今春家傳の謡の中より又一流謳出すにより宮尾流とて世に用ゆ
これのみならず利休に隨ひ茶道を嗜む
此人の女は即利休の室となる
ある時短檠の柱の持所の手懸に燈心を持せける
これより後世此室家の好と賞じける
今に見る宮尾道三
堺市立中央図書館/堺市史
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(一五三)宮尾道三
【宮尾流】宮尾道三は今春及連の家僕で、堺に來つて上源町(櫛屋町東二丁三丁に當る所をいふ)に住し、今春の歌謠中から新たに一流を謳ひ出し、宮尾流の一派を立てた。又千利休に從ひ、茶湯にも通じた。【道三の女】其女も之を見習ふて、茶具の製作に意を用ひ、新たに發明するところもあつた。女は後利休の室となつたが、短檠の柱の持所の手懸に、燈心を持たせなどして時人に其作意を感ぜしめたといふ。(堺鑑下、全堺詳志卷之下)