占辻
湯屋ノ町市ノ町との間大小路の衢をいふ
俗説曰攝河泉の堺目南北分地とする所也とぞ
或カ云むかし安倍晴明こゝに來り諸民辻占のため陰陽の神符をこゝに篭置しとぞ
今に於て此辻に來り吉凶を卜するに正しく違ふ事なしと也妄談信ずるに足らず
俗説曰攝河泉の堺目南北分地とする所也とぞ
或カ云むかし安倍晴明こゝに來り諸民辻占のため陰陽の神符をこゝに篭置しとぞ
今に於て此辻に來り吉凶を卜するに正しく違ふ事なしと也妄談信ずるに足らず
今に見る占辻
晴明辻跡全景
晴明辻跡碑
大小路案内板
大小路(Oshoji Street)
堺のシンボルロードとして整備されている大小路は、堺の町ができた頃からのメイン・ストリートです。
室町時代の応永二十三年(1416)の開口神社文書に「おう小路」の名前があり、この頃にはすでに通りの名前として使われていましたが、名前の由来は、明らかではありません。
慶長二十年(1615)以前の大小路は現在の位置とは異なり、このあたりからほぼ真東の方向にのび長岡街道に続いていたものと考えられます。また、大小路は摂津・堺北荘と和泉国・堺南荘の境であり、このことが堺の名前のおこりにもなりました。
堺が最も栄えた戦国時代にはこの大小路を挟んで天王寺屋・紅屋などの豪商が軒を連ね、ここは堺一のにぎわいを誇っていたものと考えられます。
江戸時代においても道幅五間(約九メートル)で堺でいちばん広い道路でした。
なお、この大小路と大道との交差点は平安時代の陰陽師安倍晴明が占い書きを埋めた場所とされ、占辻または晴明辻と呼ばれています。ここで占いをすれば必ず当たったといわれています。
【出典: 大小路案内板】
堺北警察署前 大小路碑
堺北警察署前 大小路碑