02-00100 光明院

光明院くはうみやうゐん

北莊櫛屋町にあり
浄土宗
福寳山ふくほうさん不動寺ふとうじと号す
往昔むかし桓武くはんむ天皇夢の中に一老翁らうをうあい給ひける
かの翁か曰それ佛経は神代かみよの和哥に等し
みかどいま佛経ぶつきやうしんじ給ふ故に國家こくか泰平たいへい擁護をうごし奉らん
は住𠮷のほとりよりきたる也とそう
帝御夢さめて後経藏を攝河泉の堺に造立し給ひて歌原藏うちはらざうとなづけ給ふ
其後宇多うだ帝の御宇に一によ栄関えいくはん大僧都かの経藏のほとりに一堂を営て則歌原堂うたはらだうとなづく
順德院じゆんとくゐんの御宇に浄土西山上人中興として専修せんじゆ念佛の易行ゑぎやうひろ貴賤きせん化益けやく

本尊阿弥陀佛

慈覺じかん大師の作
後土御門院の御寄附きふ
傳記は三條實隆さねたか卿の筆同帝どうてい宸筆しんひつの阿弥陀経十卷同じく御製の和歌六首佛号の六字を句の上に置て詠せ給ふ勾當内侍こうたうのないし添文そへふみあり當寺初は南莊にあり

不動尊ふどうそん

興教こうけう大師の作
御柏原院ごかしはらのゐん御寄附ごきふ并に傳記同帝どうてい宸翰しんかんの阿弥陀経五巻梵網ぼんもう経壱巻あり

不動利釼ふどうのりけん

後奈良院ごならのゐんの御寄附状同帝宸筆しんひつの阿弥陀経五巻梵網ぼんもう経壱巻あり
桓武くはんむ帝勅筆の大般若経の御序ごじよあり
又弘法大師眞筆の心経并に後小松院の御添翰おそへかん其外霊佛寳噐古證文等あげかぞへがたし

逍遥院殿記
 四月廿日和泉堺南莊みなみのしやう光明院にいたりてさま〱いたはりとも侍り
 夢庵むあんおとづれしかはやがてたづね來れり
 夕つけて又かの寄宿きしゆくの寺へもまかり侍り
 あくる日は光明院より夢庵をも招請せうじやうしてときをまうけらる
 廿ニ日髙野かうや叅詣さんけいの事思ひたちて宗珀といふものをしるべとたのみてまかりたち侍り
 廿六日の暮にせまりて堺にかへりつきぬ
 髙野叅詣の前より二十首題をくはりたりしをけふ夢庵にてとりかさぬへきよしありしかは
 かしこにまかりて侍りしに哥舞にをよひてその興あさからす
    旅宿郭公
  いさとひて都のつとに草まくらさそはまほしきほとゝきすかな
    江上眺望
  こきかへり入江の舟の夕なみにさかひしらるゝをのかうら〱
    寄杣木戀
  宮木引こゑにこたふる山ひこもわか打わひてなくはしらすや

五月朔日光瑱といふもの連哥興行すへきよし頻に中侍りしかは光明院にて一座ありしに
  濵松の名にやこたへしほとゝきす        牡丹花
  みしか夜惜きうら波のこゑ           實 隆
  すゝしさを光に月は秋立て           宗 硯