櫛笥寺
車ノ町の東にあり
日蓮宗又本教寺と号す
開基日染上人
日蓮宗又本教寺と号す
開基日染上人
明應元年の建立也
櫛笥殿本願ありて此寺をいとなみ給ひしゆへ名を呼ぶ
今に見る櫛笥寺
櫛笥寺
本堂
具足山櫛笥寺は、明応元年(1492)櫛笥大納言隆朝が創建し、本住院日染が開山です。本山立本寺の末寺ですが、奉行所札書付に「京都立本寺、当地櫛笥寺、両寺一寺と申す」と記されている。朱印寺で、豊臣秀吉は、天正十四年(1586)一石一斗の朱印を寄せ、徳川幕府もこれを引き継ぎました。大阪夏の陣(1615)で焼失したが、元和三年(1617)本堂等を再建しました。
当寺に安置する霊鷲院日審は、母が懐妊中に死亡した後、甕棺の中で出生し、説法にすぐれた高僧となり、安産守護の「かめ日審さま」と慕われ、帰依するもの九万人に及んだといわれ、立本寺の十七世、当寺の八世中興の師となりました。宝永元年(1704)の記録には延成院、久祥院、良圓坊、扇翁坊、の四塔頭の名があり、境内地墓地計千二百三十八坪でした。
昭和二十年(1945)、戦火で全焼の後、昭和四十年(1965)現在の本堂等が再建されました。
当寺に安置する霊鷲院日審は、母が懐妊中に死亡した後、甕棺の中で出生し、説法にすぐれた高僧となり、安産守護の「かめ日審さま」と慕われ、帰依するもの九万人に及んだといわれ、立本寺の十七世、当寺の八世中興の師となりました。宝永元年(1704)の記録には延成院、久祥院、良圓坊、扇翁坊、の四塔頭の名があり、境内地墓地計千二百三十八坪でした。
昭和二十年(1945)、戦火で全焼の後、昭和四十年(1965)現在の本堂等が再建されました。
【出典:堺市設置案内板】
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