02-02400 石津郷

石津郷いしづのがう

堺の南廿町許にあり
上石津かみいしつ下石津いもいしつといふ
姓氏録しやうじろく
和泉國神別に石津いしつむらじ天穂日命あまつほのひのみこと十四世のそん野見宿禰のみのすくねのちなり
土佐日記云
いしつといふところの松はらおもしろくてはまへとをし
更級記云
さるへきようありて秋の頃いつみにくたり冬になりてのほるにおほつといふ浦に舟にのりたるに其夜雨風いはもうこくはかりにふりふゝきて神さへなりてとゝろくに波のたちくるをとなひ風のふきまとひたるさまおそろしけなることいのちのかきりつとおもひまとはるをかのうへに舟を引あけて夜をあかす雨はやみたれと風なを吹つゝ舟出さす行ゑもなきをかのうへに五六日をすくすからうして風いさゝかやみたるほと舟のすたれまきあけて見わたせは夕しほたゝみちにみちくるたまとりもあへす入江のたつの聲おしまぬもおかしくみゆ國の人々あつまりきてその夜このうらを出させたまひて石津につかせたまへらましかはやかて此御舟なこりなくなりなましなといふ心ほそうきこゆ
夫木
  あるゝ海に風よりさきに舟出していしつの波と消なましかは
更級記さらしなのき菅原すがはらの孝標たかすゑむすめあらはふみ
すなはち祐子ゆうし内親王ないしんわう侍女じぢよ
このかみ定義さだよしは和泉守ににんじて和泉の国府こふきよ
京北野本殿ほんでんの内の和泉殿いづみどのにしてしう五位下菅原すがはら定義さだよし
菅神かんしん六世のそん從四位上孝標たかうゑの子にして紀傳きでんみちげうとす
令聞れいぶんはぢ