行興寺
日部神社
行興寺
草部村にあり
初は行基菩薩の開創にして日部神社の神宮寺なり
兵乱に荒廢して諸堂の趾田畑の字となる
本尊不動明王
弘法大師の作長壱尺壱寸
霊驗日々に新なり利生世の知る所也
初メの本尊は藥師佛也
行者堂
役行者を安す傳教大師の作
原江州伊香郡已髙山の石道寺ありしか近年宝暦十年三月廿七日當寺に移す
石燈爐
牛頭天王の社内にあり
相傳フ楠正儀の寄附也
柱の銘云和泉國大鳥郡草部上条牛頭天王燈爐也正平二十二年巳酉卯月八日云云
胴に降龍同く後に昇龍四隅に四天王の像を鐫す當國の名器也
瑠璃窟
大塚山藥師堂の傍あり深サ弐間餘横巾壱間許
いしへは成願寺といふ淨刹あり
慶雲年中僧正行基の開創なり世の人行興寺の奥之院といふ
今に見る行興寺
行興寺
大聖不動堂・行者堂
大聖不動堂扁額
阿弥陀山 行興寺縁起
縁起
当寺は行基菩薩によって建立され、薬師如来をご本尊として信仰を集めていたと伝えられております。
また、弘法大師空海が高野山に籠もる前、当寺に籠もり修行の後、不動明王を三体お彫になり、一体は滝谷不動へ、一体は淡路島へ渡りその後海外へ、残る一体が現在ご本尊とされている不動明王であると言い伝えられています。
最盛期には約一万坪の寺領を拝領し、時の天皇や豪族たちの信仰の対象寺として栄え、宿坊も十二坊くらいあり、多くの修験者達で賑わっていたそうです。しかし、相次ぐ戦乱で荒廃していき、その時々の住職や行者、信者さんたちによって再建されてきたようですが、近年になり明治の荒廃毀釈などの諸制度により寺領も現在の様に減少し、当時の鎮守さんも寺社庁の管轄となり分離されたと伝えられております。政情不安のどさ くさに紛れて代々のご尊像や仏具など、かなりのものが紛失したと伝えられています。
しかしながら、「くさべのお不動さん」は霊験あらたかということで、現在も地元のみならず他府県の方々の信仰をあつめています。
第三十七世住職
【出典:くさべ不動尊 阿弥陀山行興寺WEBサイト】
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