解氣井
坪井村にあり神武紀五十八年神日本磐余彦尊皇師をして長髄彦を征し給ふとき流矢來ツて兄の五瀬命の肱脛に的れり御手の血を洗ひ給ふゆへ血沼の海の名ありと古事記に見へたり
又此皇師の事日本紀に出たり又佛並村神主の説に云此時官軍横山彦是神主澤氏の遠祖とそ出迎ひ行宮を造り矢疵を此名泉にて洗はせ給ふ
ゆへに解氣井と呼ならはしけり
今に於ても刃傷打身諸瘡を此泉にて濯ふ時は忽チ平癒すとなん
和泉志に讃岐井と書しは訛ならんかし
坪井 太古邏井
又此皇師の事日本紀に出たり又佛並村神主の説に云此時官軍横山彦是神主澤氏の遠祖とそ出迎ひ行宮を造り矢疵を此名泉にて洗はせ給ふ
ゆへに解氣井と呼ならはしけり
今に於ても刃傷打身諸瘡を此泉にて濯ふ時は忽チ平癒すとなん
和泉志に讃岐井と書しは訛ならんかし
坪井 太古邏井
倶に同村にあり