03-05300 牛瀧山大威德寺

牛瀧山うしたきさん大威德寺だいゐとくじ


牛瀧うしたき丹楓見もみぢみ
新古今
紅葉ゞをさこそ嵐のはらふらめ
 此山もとの雨とふるなり
        権中納言公任

[牛瀧山大威德寺挿絵 全景]

[牛瀧山大威德寺挿絵 坊中]


牛瀧山うしたきさん 大威德寺だいゐとくじ坊中ばうちう

[牛瀧山大威德寺挿絵 本堂]


牛瀧本堂

牛瀧莊うしたきのしやうにありいにしへは石藏いはくら五山といふ坊舎ばうしや四十あり
本坊方は真言宗しんごんしう穀屋こくや方は天台てんだい

本尊ほんぞん大威德明王だいゐとくみやうわう

佛殿に安す慧亮ゑりやうの作

不動尊ふどうそん

ゑんの行者の作

阿弥陀佛あみだぶつ

弘法の作
ともに𦚰檀に安す

役行者堂ゑんぎやうじやだう

自作じさくの影を安す

多寚塔たほうたう

金剛界こんがうかい大日を安す
弘法の作

求聞持堂ぐもんじだう

虚空藏こくうざうを安す
弘法の作

鎭守社ちんじゆのやしろ

弁財天を安す
役行者勧請

蛭子ゑびす大黒だいこくの

行者勧請

天照太神社

大師堂の傍にあり

大師堂

弘法大師の画影ぐはゑい
眞如しんによ法親王はうしんわうの筆

鐘堂しやうだう

大師堂の左にあり

閼伽あか

本堂の傍にあり

夫當山はゑんの優婆塞うばそく開創かいさうし給ひ厥后そのゝち弘法大師惠亮ゑりやう和尚も經歴けいれきして中興ちうこうし給ふ
いにしへは石藏いはくら五山となづく轉法輪てんはうりんみねありこゝに髙㘴石かうざせきありてこれほとけ猊㘴ししのざ也といふ
ゑんの行者こゝに來て第二のたきの上に修練しゆれんし不動尊を彫刻てうこくしてこれを安置す
いまの明王堂なり
行者七ほう巌窟がんくつおさめ山鎭さんちんとすいはやうち杳冥きやうめいにして烈風れつふう多し
故に風穴かざあなといふふかさ二十町ばかり
昔日むかし聖武帝しやうむてい御時おんとき天下大にひでりみかどこれをうらなはしむるに鳳城ほうじやうひつじさるすみ瀑布たきあり雲霧うんむ其うへに瀰漫みまん
あめをかの地にいのり給はゝすなはちしるしあらん於是こゝにおいて勅使ちよくしをしてあめいのらしむ須臾しゆゆにして沛然はいぜんあめくだ
みかど大に喜悦きゑつし給ひてかさね使つかひつかはたきほとりにて音樂をんがくそうかへりまうしあるこれを樂原がくのはらといふ
とき六十六しうまた田園でんゑんを此山にわかいるる六十六段田たんたがう
これより飛泉たきたつとみ厳重瀧げんぢうのたきといふ従爾巳來しかしよりこのかた毎歳まいさい六月十五日大般若だいはんにやを轉讀てんどくして五穀ごこく豊熟ほうじゆくいの旱魃かんばつすく
山に求聞持堂ぐもんじだう及び兩層塔りやうそのたうあり弘法大師のたつる所也
叡山ゑいざん大乘坊だいじやうばう惠亮ゑりやう和尚をしやう此山にきた大威德だいゐとくはうしゆす其時大威德尊だいゐとくそん第三のたきより湧出ゆしゆつし給ふ
ところうし潭心たんしん臥石ぐはせきこれなり其いしたけ四丈瀑布たきこれをさしはさんでとびながあたかも青牛せいきうみづよりをどいづるにたり
惠亮ゑりやう感喜かんき膽仰せんかうしてすなはち大日岩たいにちいはたに石上せきじやうして一とうれい大威德尊たいゐとくそんざうつく
今の本尊ほんぞん此れ也
至此ここにいたつて厳重瀧げんぢうのたき牛瀧うしたきといふ
第一のたきの髙二丈第二のたきの髙十丈第三のたきの髙四丈
此三の飛泉たき水源すいげんに四十八たきあり曲折きよくせつ犇流ほんりう
なを山中さんちう異迹ゐせき多しかつ一山にかいで多しあきすゑには紅錦こうきんしくが如しふもとよりみねまて紅葉もみちならぬ所なし
坊中ばうちう書院しよゐんゑいじて衣類いるい諸噐しよきまでべにそゝくが如しもつとも竒絶きぜつ壯観さうかん騒人さうにん墨客ぼくかくこゝにいたらずんばあるべからず

   牛瀧名山大威德寺記

【註】
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泉州南極有山曰牛瀧老松古檜陰森接翠蓊蔚清徽
其可観矣絶頂有石狀如青牛従石鏬濺出乳水霏々
焉猶雪之飄空葢牛瀧之穪其斯之謂歟昔者役行者
闢葛城山毎逢嶮難之處設修密壇此山亦其一數也
正殿安大威德明王像六面六臂駕青牛叡山慧亮法
師手所鐫一下刀三稽首久之後成威霊殊絶闡提生
信又奉彌陀佛千像側者明王之五忿怒尊之中主是
以彌陀佛示迹故也因名曰寺於大威德相傳
清和天皇登極詔亮降摩開護摩壇修威德明王之法
而感青牛現空 天皇嘆希於是亮寄來今像於本山
鎭護王畿坤隅又一時国内大旱下詔祈雨無不有其
應命一博士占出地霊遂得此瀧頭啓建道塲未經三
日雨淋一國天使入山威儀巌重故又有巌重瀧之穪
後來好事者於葛城山中立二十八峰配法華二十八
品今此最高峯當法師品又有求聞持堂開山堂弘法
大師堂坊舎三十餘宇半瑜伽者穪本坊主寺事半天
台宗穪穀屋而勧化諸方近來有牛瀧紅葉之名九十
月間貴賤齎糧入山綿々不斷予偶與二三子過遊于
此霊縦幽竒猶勝所聞今本坊主𥁎某公就余求記因
書因書如斯勝做讃曰
泉州南極 有名道塲 境穪清絶 地卜𠮷祥
役公所闢 埀一千霜 清和所剏 烈數十坊
彌陀権化 威德明王 維霊赫々 其像堂々
忿怒形体 可啓可惶 慈悲面相 能端能莊
降伏魔外 擁護今尚 抜苦與樂 同塵和光
旱天下雨 澤之邉疆 秋峰飜錦 人自諸方
神恩日希 霊跡増彰 誰不帰仰 我故讃揚
山堅寺古 地久天長
寳永元年佛成道後三日紫野大心領頭陀操觚于
泉州界府蓮華堂

此山の丹楓もみぢ髙雄たかお通天つうてんにはをとらずしてたにひきゝみねたかきも
くれなひなるざるはなし其くれなゐのなかより三たきだん〱におちて
牛石うしいしさしはさみてみづをとつよくしもそみたる紅葉もみぢは此うし
ちりかさなりてにしきしとねきせたるが如しあるはたにかはの早きなが
あるはいはほかた舞止まいとまるもあり散かたには坊舎の書院しよゐんくりやまてみな
くれなひにてひとかほも赤きめんかづきたるが如し楚岸そがん呉江ごこうもこれには
まさらじとそおもふなるべし
    普照院宮元瑤法親王九十一歳
 暮ぬとてさても覺へす紅葉はの下てる山の入相のかね
  牛瀧の紅葉をすりうつしたるに
              林丘寺宮元秀法親王
 時雨せし山路のそての名残かな霜にかれせぬ霜の言の葉
  瀧紅葉         風早公長卿
 山髙みうつるもみちにものよりも秋はことなる瀧ついはなみ
              武者小路實蔭卿
 行て見てもみちを分る秋もあらはなにうし瀧の山遠くとも
              烏丸光栄卿
 をとにのみさこそときくはうし瀧の山の紅葉ばいつか分見ん
              冷泉爲久卿
 今もたれ車をとめて牛瀧のもみちのはやし秋にめつらん
              武者小路公野卿
 染かけてをるや錦もたてぬきに紅葉しからむ瀧のしらいと
              髙橋季重卿
 つてにのみきゝてやまむもうし瀧の山は都のよその紅葉ゝ
              義胤僧都
 からにしき風の行手に織かけて紅葉をぬきの瀧のしら糸
              惠通僧都
 よそにしてまた見ぬもうし瀧つ波名にこそたれて山の紅葉ゝ
    紅葉する牛瀧の音は遠く雲井にひゞきて
     やむことなき御方のことのはしけかりけれは

 小車もつゐにとゝめむ名にしおはゝうし瀧山の木々の紅葉ば 似雲
誹諧
  うし瀧やもう〱とも夕もみち             梅盛
  谷峯もわかす紅葉の入日かな              塘雨
 牛瀧のもみちを見て狂哥をよめる
  紅葉見てみゝあらはず酒てぬわれは巣父さうふ牛瀧うしたきもと    斑竹