石寳殿
蕎麦原村より十町許山上にあり牛瀧山より三十一町なり
土人こゝを葛城山といふ葛城は大和國也これより八町許東也
峯中記云當山蕎麦原の宮は天神 八幡 八大金剛童子 佛僧ノ瀧 行者の護摩所あり不動は行者の作也
下の道の衢に石像の地藏あり奥に三重の滝あり又廿町麓に瀧あり石に梵字を鐫る即行者の筆跡也とそ
里諺曰岸和田の城主國初の時此山に遊猟し白鹿を獲る其時雷鳴震動して士卒大に恐れ山下に趨る
其後城主より石室いとなみて葛城山一言主神を勧請すこれより土人葛城山或は石寳殿と口称す
土人こゝを葛城山といふ葛城は大和國也これより八町許東也
峯中記云當山蕎麦原の宮は天神 八幡 八大金剛童子 佛僧ノ瀧 行者の護摩所あり不動は行者の作也
下の道の衢に石像の地藏あり奥に三重の滝あり又廿町麓に瀧あり石に梵字を鐫る即行者の筆跡也とそ
里諺曰岸和田の城主國初の時此山に遊猟し白鹿を獲る其時雷鳴震動して士卒大に恐れ山下に趨る
其後城主より石室いとなみて葛城山一言主神を勧請すこれより土人葛城山或は石寳殿と口称す