岡山御堂旧蹟
久米田の東新在家村にあり文亀二年の頃山直郷に祐善願了といふ二僧あり
親鸞聖人の御教法に帰入し本願寺第九代實如上人當國御下向の時此地に旅舘を建て化益し給ふとき随身しけり
其外道俗叅集して法門に入る者稲麻の如し其時の古跡を今御成墳といふ
こゝに岡山の地は風景勝れたれば叅詣の便も可ならんとて七間四面の御堂庫裏書院鐘樓まて建営したまふ
永正二年の夏再び御下向あつて聖德太子眞作の阿弥陀佛を本尊とい祖師親鸞聖人の影は自画して安置せられき
然るに畠山紀伊守髙政三好筑前守義賢と對陣三好方利なくして此岡山に籠る
畠山追かけ來り焼討にせんとて火を放ちければ其時御堂灰燼とぞなりにける
其後元の如く再建成就しける所第十一代顕如上人大坂石山に籠城し給ふ砌
頃は天正八年八月山直郷士寺田又右衛門松浦安太夫といふもの信長の旗下に属して日蓮の宗徒をかたらひ焼討にしけり
これより岡山の御堂廢地と成礎石のみ遺りて鐘は今岸和田城内にありとかや
本尊祖影とも近邑八箇村へ預り毎歳報恩講を修行すこれを岡山講といふ
親鸞聖人の御教法に帰入し本願寺第九代實如上人當國御下向の時此地に旅舘を建て化益し給ふとき随身しけり
其外道俗叅集して法門に入る者稲麻の如し其時の古跡を今御成墳といふ
こゝに岡山の地は風景勝れたれば叅詣の便も可ならんとて七間四面の御堂庫裏書院鐘樓まて建営したまふ
永正二年の夏再び御下向あつて聖德太子眞作の阿弥陀佛を本尊とい祖師親鸞聖人の影は自画して安置せられき
然るに畠山紀伊守髙政三好筑前守義賢と對陣三好方利なくして此岡山に籠る
畠山追かけ來り焼討にせんとて火を放ちければ其時御堂灰燼とぞなりにける
其後元の如く再建成就しける所第十一代顕如上人大坂石山に籠城し給ふ砌
頃は天正八年八月山直郷士寺田又右衛門松浦安太夫といふもの信長の旗下に属して日蓮の宗徒をかたらひ焼討にしけり
これより岡山の御堂廢地と成礎石のみ遺りて鐘は今岸和田城内にありとかや
本尊祖影とも近邑八箇村へ預り毎歳報恩講を修行すこれを岡山講といふ