犬鳴山七寚瀧寺
犬鳴山七寚瀧寺
犬鳴山路
むかし獵夫あつて犬を牽山中に入て鹿を窺ふ 傍の瀧に毒虵有て獵師を吞んとす
獵夫がこゝろ𢈘に在てこれをしらず 犬数声を吼て其主に告る
獵師いまだこれをさとらず 鹿犬の吠るに驚ひて去ぬ
獵夫怒ツて其犬を斬る 犬の頭忽踊ツて毒虵を齧殺す
其時犬恩義を知て我命を助けし也 これによって出家してこゝに一宇の精舎を建けり
故に犬鳴山と称ず
大木村の東にあり巉崖危磴にして蓁樹茂密也
路傍に梵字を鐫たる標石壱町毎にあり
大木より登る事凢て廿町餘也
山中に飛泉七ツあり
其下流路に跨て右にし左にし岩上を登る
其半は大巌あり 山上嶽 大天上の如し
本堂
山中にあり 中尊 不動明王 長壱尺八寸 役行者の作
左 役行者 右 弘法大師 宗旨眞言古義
燈明嶽
當山の絶頂をいふ
西の海面を闇夜に渡海の舩方角を失ふの時當山の不動尊を念する時此峯に燈明輝くといふ
两界瀧
登山の初にあり 口の瀧ともいふ
塔の瀑布
两界の上にあり 二の瀧ともいふ
弁財天瀧
又其上にあり 三の瀧といふ
固津喜瀧
又其上にあり 四の飛泉ともいふ
奥の瀧
又其上にあり 五の瀧ともいふ
千手瀧
又其上にあり 六の瀧ともいふ
布曳瀧
又其上にあり 七の瀧ともいふ
此七ツの瀧より七宝瀧寺といふ
寺記曰むかし前九條殿下植通公一時此山に登臨して和哥を詠し給ふ
おもひきや七の寳の瀧にきて六のにごりをきよむへきとは 九條殿下
豆蔦にみちをもとめつ瀧の水 籬嶌
東覗 西覗
俱に當山の行塲也 本堂の上にあり
笈掛石 四寸巌
登山の道にあり
屏風岩
當山の北にあり
行塲石
役行者修行し給ふ所也 當山の奥にあり
天狗松
燈明嶽の西にあり
風穴
奥の瀧の上にあり 四時風を起す
連理枝
本堂の下にあり
押上石
本堂の臺石なり
幅十丈 髙三十丈許 本堂を岩上へ捧け置たるが如し
大黒石
口の瀧にあり
虵腹
本堂の上にあり
梵字石
當山に四十八ヶ所あり 志一上人これを建る
山中に毒虫魍魎の類なし 此密印の竒特にや
石綿
奥の瀧の傍にあり
官女志津墓 泪の瀧
共に道の傍にあり
犬の墓
道の左リ十間許にあり 石面に梵字を鐫 由縁左に見へたり
それ此山は役優婆塞草創の地也
自作の不動尊を本尊とす
犬鳴と号る事はむかし獵師ありて犬を牽此山に入て一ツの𢈘を窺ふ
傍に巨なる虵あり 頭を擧てかの獵夫を吞んと向ふ
獵師が意𢈘にあつてこれをしらず
犬数聲を發し頻に鳴て其主に告る
獵夫いまだ其由致を暁る事能はず
鹿犬の吠るに驚ひて去りぬ
獵夫犬に怒て其犬を斬る
犬の頭忽踊て虵を齧殺す
於是其鳴事の妄ならざる事を知る
其時人咸曰此犬は不動の使獣是偏に明王の霊驗なり
獵夫感嘆して此寺に入薙髪して永く殺業を罷ける也
故に犬鳴山といふ又或は白雲院と号す
むかし淡路の小聖といふものあり屢禁闕に上下し雲客に従ふ
宮嬪志津といふ女此小聖を見て戀慕忽發ツて寤寐に忘るゝ事なし花鳥の使を百千に通ず
小聖これを避んとて此山に遯れ隠る
志津女跡を追ふて巌徑崎嶇に至る
其時忽然として白雲掩映し俄に小聖が去る所を匿す
志津女悲泣に勝ずして路傍に愁死す
時の人これを哀んて葬埋す
此墳に雲あれば則かならず雨降る是志津が餘涙といふ
又傍に小瀧ありこれを泪の飛泉となづく
白雲小聖を擁するに親りの不動尊の擁護する所也故に院号とす
南朝正平年中に志一上人といふあり紀州粉河の英産にして顕密禅の三宗を兼修す
土丸の城主橋本判官正髙を勧勵して粗堂宇を再営し寺院を經始す實に此山の中興なり
抑當山をかんが見るに荊州の衡山にや比しぬらん
劉敬叔が古時の文字を得あるは鳥の跡を遺しける神禹の碑もあらんや
火德の中天日月を扶け炎方一柱乾坤を鎭ずるの霊區也
此山の土産にはべといふ木あり これを取て家に藏む 大峯の梛の類也
犬鳴にて
山里はねられさりけり夜もすからまつふく風におとろかされて 和泉式阝
岩檜葉の間をめくりて瀧涼し 斑竹
秋の夜や犬鳴山の經の聲 衆雲