04-03200 衣通姫舊蹟

衣通姫そとをりひめの舊蹟きうせき


衣通姫そとをりひめ粧粉しやうふんほどこさずしておのづからの美艶びゑんあり
楚辞そじに見えたる朱唇あかきくちびる 皓歯しろきは 豊肉こゑたるはたへ 娉目うるはしきめ 遠山ゑさんまゆこまやか
其上そのうへ和哥わか三聖さんせいの内なれば此許に允恭帝いんきようていのつねにかよひ給ふもむべならん哉

郷中村にあり土人衣通姫の手習所といふ
五十年前小社あり社の傍に池あり封境はう一町ばかり毎歳正月七月燈明とうみやうかゝ
近耒きんらいこぼつ糞田ふんでんとし小社も亦みん滅して所の惣墓そうかとす嘆息たんそくするにたへたり
わづかに小池をのこす池のかたはらかきちううへたり
日本紀曰
允恭いんきよう天皇八年はる二月衣通郎姫そとをりいらつこひめそうしていはく
せうつねに王宮おほみやちかつひ晝夜ちうや相続あいつゞひ陛下きみ威儀みよそほひんと思ふ
然るに皇后くはうぐうすなはちせういろねなりせうによつてつね陛下きみうらみ給ふまたせうこれをくるしむ
こゝを以てこひねがはくは王宮おほみやはなれてとををらしめんとおもふ然らば皇后くはうぐう嫉意ねたきこゝろすこやま
天皇すべらきすなはち宮室きうしつ河内かはち茅渟ちぬ和泉國 即此地なり興造つくり衣通姫そとをりひめをこゝにらしめ給ふ
因茲こゝによつてより日根野ひねの遊猟ゆうりやうし給ふ
同九年はる二月あき八月ふゆ十月みな茅渟宮ちぬのみやみゆきし給ふ同十年はる正月茅渟ちぬみゆき
於是こゝにおいて皇后くはうぐうそうしていはく
やつこ如毫毛けのすゑばかり弟姫をとゝひめねたむにあらず陛下すべらみこと時々より〱茅渟ちぬみゆきし給ふ事これ百姓ひやくせいくるしみなり
あをねがはく車駕いてましかず宜除やめ給ふべしとありければ其後そのゝち希有まれみゆきまし〱けり
同十一年はる三月茅渟宮ちぬのみやみゆきし給ふ
衣通姫そとをりひめうたうたふのたまふ
 等虚辞陪邇とこしへに枳彌母阿閇椰毛異舎儺等利きみもあへやもいきなとり宇彌能波摩毛能うみのはまもの余留等枳等枳弘よるときときを
天皇すべらきこれをきゝて給ひて衣通姫そとをりひめのたまふやうには是歌このうた他人あたしひときかすべからず
皇后くはうぐうきゝたまはゞおほひうらみ給はんかるがゆゑときひと濵藻はまもがうして奈能利曽毛といふなり