04-03500 海會宮

海會宮かいゑくう


信達したつ
牛頭ごづ天皇

同莊大苗代おのしろの東にあり今祗園ぎをんしやうず 此邉四村の生土神うぶすなしん
海會寺かいゑじは行基の草創也天正の兵火にかゝつ泯滅みんめつす 今旧礎きうそなを歴然れきぜんたり

海會宮池かいゑくのいけ

社の南にあり 往昔そのかみ行基掘給ふとそ
池廣大にしてむかしは大虵すみしと云傳へける

日本霊異記れいゐき
むかし和泉國日根ひね郡にひとりの盗人あり
天然てんねん心凶こゝろけうにして殺盗せつとうげうとし因果ゐんくはしんぜずつね寺院じゐん銅作どうさぬすんかたらひ賣る
聖武帝の御代その海惠寺かいゑてらの佛の銅像とうざうぬすみとる
時に路行人みちゆきひとあり 寺より北の道を馬に乘て通るに声あつて曰
叫哭さけびなげきて痛哉いたましいかな痛哉といふ
路人ろじんあやしみむまとゞめ其こゑに従ふて尋るに泣音なくね暫くしつしてもの鍛槌かなつちする音聞ゆなり
故に又馬をすゝめて過行にしりぞくしたがふてさきの如し 忍ひ過る事を得ず
其音に従ふて山陰やまかげ藁屋わらやに入れは銅像どうざう佛をたかね金槌かなつちを以て打砕うちくだをと
即これをとらへて糺明きうめいしければ海惠寺かいゑじの佛像のよし白状はくじやう
因茲これによつてくはんをくりて重刑じうけいに行はる
この佛像霊瑞れいずいしめし給ふ事當來とうらいのみならず眼前がんぜん應驗をうげんあらはし給ふ事おそるべしたつとむべし