海會宮
信達
牛頭天皇
同莊大苗代の東にあり今祗園と称ず 此邉四ケ村の生土神也
海會寺は行基の草創也天正の兵火に罹て泯滅す 今旧礎なを歴然たり
海會宮池
社の南にあり 往昔行基掘給ふとそ
池廣大にしてむかしは大虵棲しと云傳へける
日本霊異記云
むかし和泉國日根郡に一の盗人あり
天然心凶にして殺盗を業とし因果を信ぜず常に寺院の銅作を盗で衒ひ賣る
聖武帝の御代其郡海惠寺の佛の銅像を盗とる
時に路行人あり 寺より北の道を馬に乘ツて通るに声あつて曰
叫哭きて痛哉痛哉といふ
路人異て馬を止め其声に従ふて尋るに泣音暫く失して物に鍛槌する音聞ゆなり
故に又馬をすゝめて過行に卻に隨ふて先の如し 忍ひ過る事を得ず
其音に従ふて山陰の藁屋に入れは銅像佛を鏨の金槌を以て打砕く音也
即これを捕へて糺明しければ海惠寺の佛像のよし白状す
因茲官に送りて重刑に行はる
この佛像霊瑞を示し給ふ事當來のみならず眼前に應驗を現し給ふ事擢るべし尊むべし