04-06500 淡輪

淡輪たんのわ

箱作りの南にあり
淡輪たんのわ右衛門五郎入道正圓しやうゑんは元弘年中の人也
其苗孫こゝにあり 足利あしかゞ尊氏たかうぢ證文しやうもん今に傳來てんらい
天正年中に到淡輪たんのわ大和守徹齊てつさいむすめ関白くはんぱく秀次公ひでつぐせうとす
秀次太閤たいかう秀吉ひでよし公にうとんぜられて滅亡めつぼう
徹齊てつさいの所領此時秀吉公の爲に没収もつしうせられ徹齊てつさいが二男淡輪たんのわ六郎兵衛浪々らう〱と成
大坂の城にこもり當國かしの井合戦に討死す 淡輪氏の嫡傳今紀州にあり
太閤記云 関白秀次公の妾御小督局おこごのつぼね泉州せんしう淡輪たんのわむすめなり
洛の三條河原に於て殺害せられる
辞世
 生れ來て又帰るこそ道なれや雲のゆきゝのいともかしこし