04-07600 孝子畑

孝子畑けうしはた

孝子村けうしにあり
峯中記曰 孝子けうし多輪たわ 南北に報恩ほうをんさはあり 般若はんにやの塔はゑん行者ひぼのはか也 北に孔雀嶽くじやくだけあり
そも〱孝子けうしがうする事はゑん行者はゝを助けんが爲かうみちによつてとらへられ給ふ地也
もとゑんの優婆塞うばそくは大和國葛上かつらかみの茅原寺ちはらじさんにして舒明しよめい天皇六年に出誕しゆつたんし給ふ
金峯山記きんぶせんのきに曰 葛城かづらき一言主ひとことぬしかみ縛縶ばくけいし給ひければうらみふくんてみかどざんして曰ゑんの小角は國家こくかかたむけんとはか叛賊はんぞく也と文武帝もんむていみことのりを下して小角をめす忽然こつぜんとしてそらのぼつて見へず
官吏くはんり計畧けいりやくもうけてそのはゝとらふ 小角已事やむことずしてとらはれ配所はいしよ伊豆大嶋いづのおほしま遠流をんるせらる
日本霊異記れいゐきにもこれをかけり これ妄談もうだんにしてとるらず
じつは行者葛城山かづらきやまこもつ神術しんじゆつを行ふ じう五位下韓國からくにの廣足ひろたりといふもの小角を師とし此じゆつまなばんと
行者廣足ひろたり行跡かうせきを見て傳へ給はざりしかばこれをすらみみかど妖惑ようわくはき大にざん
つひに文武帝三年五月伊豆國大嶋へ配流せられ給ひぬ
一言主神容貌かたちみにくければひるゑんをはゞかりてよるをまち給ひしより石橋わたし得ず
行者いのりて一言主神ひとことぬしのかみ咒縛じゆばくし給ふうらみによりみかど讒言ざんげんし給ふといふは天津神あまつかみ凢俗ぼんぞくしてかけるなるべし
此例このれい多し こゝろをとゞめて管見すべし