孝子畑
孝子村にあり
峯中記曰 孝子多輪 南北に報恩の澤あり 般若塔は役ノ行者ひぼの墓也 北に孔雀嶽あり
抑孝子と号する事は役ノ行者母を助けんが爲孝の道によつて捕られ給ふ地也
原役優婆塞は大和國葛上郡茅原寺の産にして舒明天皇六年に出誕し給ふ
金峯山記に曰 葛城一言主の神を縛縶し給ひければ怨を含んて帝に讒して曰役小角は國家を傾んと謀る叛賊也と文武帝勅を下して小角を召に忽然として空に騰て見へず
官吏計畧を設てその母を捕ふ 小角已事を得ずして囚はれ配所伊豆大嶋に遠流せらる
日本霊異記にもこれを書り これ妄談にして取に足らず
實は行者葛城山に籠て神術を行ふ 従五位下韓國廣足といふもの小角を師とし此術を学んと乞ふ
行者廣足が行跡を見て傳へ給はざりしかばこれを怨て帝に妖惑を吐大に讒す
遂に文武帝三年五月伊豆國大嶋へ配流せられ給ひぬ
一言主神容貌醜ければ晝の役をはゞかりて夜をまち給ひしより石橋わたし得ず
行者いのりて一言主神を咒縛し給ふ怨により帝に讒言し給ふといふは天津神を凢俗に比して書るなるべし
此例多し こゝろをとゞめて管見すべし
峯中記曰 孝子多輪 南北に報恩の澤あり 般若塔は役ノ行者ひぼの墓也 北に孔雀嶽あり
抑孝子と号する事は役ノ行者母を助けんが爲孝の道によつて捕られ給ふ地也
原役優婆塞は大和國葛上郡茅原寺の産にして舒明天皇六年に出誕し給ふ
金峯山記に曰 葛城一言主の神を縛縶し給ひければ怨を含んて帝に讒して曰役小角は國家を傾んと謀る叛賊也と文武帝勅を下して小角を召に忽然として空に騰て見へず
官吏計畧を設てその母を捕ふ 小角已事を得ずして囚はれ配所伊豆大嶋に遠流せらる
日本霊異記にもこれを書り これ妄談にして取に足らず
實は行者葛城山に籠て神術を行ふ 従五位下韓國廣足といふもの小角を師とし此術を学んと乞ふ
行者廣足が行跡を見て傳へ給はざりしかばこれを怨て帝に妖惑を吐大に讒す
遂に文武帝三年五月伊豆國大嶋へ配流せられ給ひぬ
一言主神容貌醜ければ晝の役をはゞかりて夜をまち給ひしより石橋わたし得ず
行者いのりて一言主神を咒縛し給ふ怨により帝に讒言し給ふといふは天津神を凢俗に比して書るなるべし
此例多し こゝろをとゞめて管見すべし