和泉名所図会 跋

和泉名所圖會跋

跋文の全文及び奥書

 

跋文

 

奥書

 

和泉名所圖會跋
 無かし 吾國の知恵をはからんてもろこしよりし
 七曲にわたかまりたる玉をつかはしけるを神のをしへな任て
 蟻にて糸をつらぬきわたしけれは日本はかしこかり
 る國とておほそれおのゝきけるとなん其かしこき智恵を
 教たまふ神の在す國を和泉といふ人代のはしめ青雲の
 白肩の津にて五瀬命 長髄彦か痛矢串を負給ふ血沼チヌ
 海なる北の方堺の浦の櫻鯛と詠けんよりはしめ
聖の帝と舎人親王の尊たまふ大鷦鷯の陵あるは
 音の聞髙師の濵のあた浪も靜に遅々たる春の日の
 うらゝかなる澳津のはまのあかつきかけてほとゝきす啼
 信太の杜のうらみ葛の葉の事しけく千枝にかわるゝ松の
 葉こしに月かけ清み國府のしみつは
気長足姫命の行幸ありしより和泉の名こゝにはしまとかや
 久米田の池のうきぬなはも誘ふ水になゝよひ佐野の市人さはに
 にきはゝしく黒㟢の松の色は蒼く磯の波は雪のことく
 貝の色は蘓枋にて五色に今一色そたらぬと貫之の書
 たまふ濵つたひ衣通姫の住給ふ茅渟チヌイヘトコロ玉くしけ箱の浦の
 波風たゝぬ日は海を鏡と眺め深日フケヒの葦田鶴波間の
 千鳥汐の滿干にゆられ紀のさかひなる川小島まてもくまなく
 見めくりいつみの灘のしら浪もしらてそこはかとなく鴫のはね
 掻書あつめあるは繪にうつさしめかしこくも
 雲のうへのはしかき賚ふてこれを和泉名所圖
 會といふ嚮に山背山跡の圖會を梓にし後より
 浪速國凢河内も編集し於是畿内全てなりけらし
 これを郭璞傳の山海経酈道元か水経なとゝ
 賞せんはわれをなしるなるへし只烟霞を
 見るの癖ありて花の曙に馬かりてうかれありき
 雪の夕くれに宿もとめかねて空しく筆を藝苑に
 玩られんは我親友なるべし
  寛政七歳霜降月
      平安 籬島 穐里 湘夕