冑社かぶとのやしろ 馬堂むまだう
宿院にあり
俗傳云
住𠮷神三韓かん を退治たいぢ ありてこゝに還かへ り
冑かぶと を藏むる地を冑社といひ中は八幡左は神㓛皇后右は玉依姫たまよりひめ
白鳳年中に此社を営む
旧地きうち は雛ひな 横小路にあり
後世こゝに移す
又駒こま を縶つな ぐ所を馬ノ堂と崇む
此堂もいにしへは大寺の北門前にあり
後世こゝにうつす
或カ日本地佛に藥師如來を安置し南北の馬借ばしやく 等ら 此堂に聚あつま り寄合所となすゆへ馬ノ堂の藥師と名づく
俗傳云
住𠮷神三韓
冑
白鳳年中に此社を営む
旧地
後世こゝに移す
又駒
此堂もいにしへは大寺の北門前にあり
後世こゝにうつす
或カ日本地佛に藥師如來を安置し南北の馬借
今に見る冑社
宿院頓宮境内 兜神社舊蹟碑
兜神社舊蹟碑
開口神社 境内神社 兜神社
境内神社 左より 豊受、神明、琴平、三宅八幡、兜、厳島、熊野
神額「三宅八幡神社・兜神社」
【舊蹟碑裏面の碑文】
「兜社 往古 神功皇后自三韓御凱旋之時藏冑祭地也。明治四十一年一月官許遷開口神社域内 昭和拾年七月建之」
この碑文によれば、
この兜神社は、神功皇后三韓征伐御凱旋のおり、此地に甲冑を納め祭った所。明治四十一年(1908)一月、行政(この場合はどこになるのか?)の許可を得て開口神社域内に遷した。
それを記すため昭和十年七月にこの碑を建てた。
ということで、開口神社の境内神社として今も祭られています。
「兜社 往古 神功皇后自三韓御凱旋之時藏冑祭地也。明治四十一年一月官許遷開口神社域内 昭和拾年七月建之」
この碑文によれば、
この兜神社は、神功皇后三韓征伐御凱旋のおり、此地に甲冑を納め祭った所。明治四十一年(1908)一月、行政(この場合はどこになるのか?)の許可を得て開口神社域内に遷した。
それを記すため昭和十年七月にこの碑を建てた。
ということで、開口神社の境内神社として今も祭られています。
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