01-01800 海會寺

海會寺かいゑじ

南宗寺の境内にあり 禅宗宿松山と号す 京師東福寺に属す

開基かいき廣智くはうち國師こくし

いみな士曇しどんあざな乾峰けんほう
聖一國師三世の後也
正暦元年の草創也

は三村明神の西門の前にあり
旧地に井あり前に見へたり元和の兵火の後こゝに移す

 

今に見る海會寺


海會寺山門
 

海會寺山内 庫裏
 

門廊

 宿松山海會寺は臨済宗東福寺派で、堺でも古くからたてられた寺院のひとつです。
 正平六年(1351)、廣智国師乾峯士曇が開山で、当時この寺院は、開口神社の西門前にありました。非常に大きな寺院で、塔頭も六院をもち、寺領三百石であったと伝えられています。今もこの旧地には金龍水と呼んでいる井戸が残っています。
 当寺第五世と思われる季弘大叔が文明十六年(1484)から同十八年にわたる「蔗軒日録」という日記とを残しており、遣明貿易で栄えつつあった当時の堺の姿がわかる唯一の史料となっています。
 その後、荒廃したので古溪宗陳が天正十三年(1585)に、現在の祥雲寺の処に再興しました。大坂夏の陣(1615)で焼失しましたが、その復興にはいたらなかったので、南宗寺の住職であった沢庵宗彭の助力によって、南宗寺の寺域に再興されました。
 本堂庫裏及び門廊は、重要文化財に指定されています。本堂は、南面した入母屋造りで前方を一間の広縁として、室内の入口は花菱模様を組んで、四枚折の唐戸をつけた中に明障子を立てています。内部は板敷の間の脇に畳敷の間を設けてあります。天井は猿頬面取りの棹縁天井を張り、南面広縁は鏡天井となっています。
 庫裏の西方は、入母屋造りの本瓦葺で本堂屋根と一連のもので、正面の玄関背面の炊事場の葺降ろしも共に本瓦葺です。
 門廊は、本堂と庫裏の境にあり、西面した向唐門と呼ばれる門と本堂への廊下が一つに組み合わされた形式のもので、正面奥の壁には華頭窓という特別な形の窓がつけられています。内側の柱内面に、腰掛かまちの取り付けがしてあり、窓外には明障子が引分けに建込んでいます。
 禅寺では珍しく、本尊は阿弥陀如来です。

【出典:海會寺特別公開時のリーフレット】

 

海会寺 (堺市)

海会寺(かいえじ)は、大阪府堺市堺区にある臨済宗東福寺派の寺院。本尊は阿弥陀如来。

歴史

元弘2年(1332年)、乾峯士曇によって開口神社の南に創建された。文明16年(1484年)頃に季弘大叔が著した「蓆軒日録」にも記録がある。

1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で伽藍が焼失したが、南宗寺住職・沢庵宗彭の助力によって南宗寺の塔頭として現在地である南宗寺境内の一角に移転、再建された。なお、移転前の地には祥雲寺が建築された。方広寺梵鐘の鐘銘を書いたことで知られる文英清韓も当寺の住職であった。後に南宗寺の塔頭から独立し、臨済宗東福寺派の寺院となったが、これまで通り南宗寺の境内に寺基を構えている。

山門を潜ると門廊があり、本堂と庫裏がある。

境内

・本堂(重要文化財) – 江戸時代前期の再建。本堂と庫裏が一棟の建物となっており、江戸時代前期の寺院建築としては珍しく大変貴重である。桁行25.2m、梁間左側面8.0m、右側面13.0m、入母屋造、本瓦葺き。内部は一室で仏間にかかる虹梁の彫刻や蟇股の形式が17世紀の特徴を示す。
・庫裏(重要文化財) – 本堂に続く庫裏は土間と畳の間が「田」の字形に配置されている。
・庭園 – 枯山水庭園。
・門廊(重要文化財) – 桁行曲折り3間、梁間1間、前面唐破風造。後部切妻造、本瓦葺き。
・山門

文化財

重要文化財

・本堂、庫裏及び門廊 2棟。本堂及び庫裏 1棟 – 1955年(昭和30年)6月22日重要文化財指定。門廊 1棟 – 1955年(昭和30年)6月22日重要文化財指定。

堺市指定有形文化財

・牡丹花詩集 附:春慶塗覆蓋単箱 1合、妙智院令椿折紙書状 1通、牡丹花詩序釈文 1通 – 乾峯士曇ら33人の禅僧が「牡丹」を題に作った漢詩を集めたもの。

現地情報

所在地

大阪府堺市堺区南旅籠町東3丁1-2

アクセス

阪堺電気軌道阪堺線御陵前停留場から徒歩5分

周辺

南宗寺 – 仏殿・山門・唐門が重要文化財、庭園が国の名勝
大安寺 – 本堂が重要文化財
大仙陵古墳 – 国内最大の前方後円墳

【出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』海会寺 (堺市)

 

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