堺人物
當津古來名譽の人物を撰んでこゝに載す
連歌師宗椿
連歌師宗椿は牡丹花の門弟也
歌の道に志深く逍遥院殿にも時々謁參し
又源氏物語を書冩しける事二十部に逮り
世に類なき事とぞ聞へし
重病に罹り今般際までかの物語を書けるが朝顔の巻にいたりて没しける
此由肖柏聞給ひて
筆にそめこゝろにかけしちきりとやおりしもきへし朝顔の露 牡丹花
歌の道に志深く逍遥院殿にも時々謁參し
又源氏物語を書冩しける事二十部に逮り
世に類なき事とぞ聞へし
重病に罹り今般際までかの物語を書けるが朝顔の巻にいたりて没しける
此由肖柏聞給ひて
筆にそめこゝろにかけしちきりとやおりしもきへし朝顔の露 牡丹花
今に見る連歌師宗椿
堺市立中央図書館/堺市史
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(七六)宗椿
宗椿は堺の連歌師で、坂東屋と稱した。(明翰抄)牡丹花肖柏の門人である。歌道に志深く、三條西實隆の知遇を受けた。【源氏の書寫】源氏物語を書寫すること二十部に達し、病中猶ほ書き續け、朝顏の卷に至つて、終に卒去した。【肖柳の追悼】肖柏これを聞いて、
筆にそめこゝろにかけしちきりとや
おりしも消し朝顏の露
の和歌一首を手向けた。(堺鑑下、和泉名所圖會卷之一)