01-00417 松井有閑法印

さかいの人物じんぶつ

當津古來名譽めいよ人物じんぶつゑらんでこゝに載す

松井まつゐ有閑ゆうかん法印ほうゐん

松井まつゐ有閑ゆうかん法印ほうゐん信長のぶなが刺史ししとして堺津にあり
元亀げんき元年四月信長じやう州より上洛あつて
京都堺津に於て名物めいぶつ茶噐ちやきを上らんあるべしとて
此法印と丹羽には五郎左衞門ぜう長秀ながひでと两人に仰付られこれを奉行ぶぎやう信長記
髙野山かうやさん武士ぶし三千人つかはされける時も此法印ほうゐんに其魁將くはいしやうめいぜられき

 

今に見る松井有閑法印

堺市立中央図書館/堺市史
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)

(一六)松井友閑
 松井友閑は織田信長の右筆で、後宮内卿法印に任ぜられた。(信長記)堺代官として在勤の際、恰も元龜元年四月信長岐阜から上洛して、【茶器上覽の奉行】京都及び堺に於ける茶器の珍器を覽んとて、命を友閑及び丹羽長秀に傳へ、之を奉行させた。(堺鑑下、全堺詳志卷之下)又信長高野山に派兵の際には、部將となつて活躍した。天正五年八月、【友閑の戰歴】松永久秀謀反の際には信長友閑に之を諭せしめ、同六年十月荒木村重擧兵せんとするや、亦信長は友閑等をして懷柔せしめんとした。次いで同八年閏三月、信長本願寺と和睦の際、目付として本願寺の誓紙を受領し、同年八月には佐久間信盛父子に譴責狀を傳達した。十年五月家康安土より京都に出遊し、やがて堺に下つた際には、友閑に招かれ茶會に列してゐる。

【出典:ADEAC(アデアック)ディジタルアーカイブ/堺市立中央図書館/堺市史