堺人物
當津古來名譽の人物を撰んでこゝに載す
乳守植女
堺乳守傾城郭
男なき寝さめはこわい蚊帳かな 遊女咲花
南莊乳守里は當津の傾城郭にて常に酣歌の聲舞曲の音たへず
花の曙には遠山の眉艶しく月の夕には蘭麝のかほり濃にして一笑千金惡からず
こゝもむかしは住吉の社領にて其遺風今にあり
毎歳五月廿八日住吉神田の神事には此地の遊女五人薄衣の衣裳着て花笠みやびやかに被き神前に出て祭式を勤む
これを住吉御田の植女といふ
此乳守町の家々の暖簾に紫の房を付る事は神式の早乙女の粧ひ官女に比して他の遊女に異なるしるしにや
すみよし御田の祭をみて
植女来て乳もりそだてる若苗や青田の色をみつゝおの神 班竹
今に見る乳守植女
住吉の御田植
住吉大社御田植神事。
住吉の御田植(すみよしのおたうえ)は、大阪府大阪市住吉区住吉の住吉大社に伝わる民俗芸能の田楽(御田植祭)である。
稲作の歴史始まって以来、田の神をまつる田植行事は日本の全国各地で行われているが、なかでも当社の御田は神功皇后が水田を設けたことに始まるとされ、五穀豊穣に関わる神聖な行事が現在でも厳格に伝承されている。母なる大地に植られたイネの苗には強力な穀霊が宿り、田植えに際して音楽を奏で歌を歌い踊りや舞を演じるのは、水田や植えられる苗に宿る穀物の力を増すためのものと考えられ、穀物が豊かに育ち稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式として、おごそかに執り行われている。
この御田植は、現在は6月14日に催され、当日の午前、神館で植女や稚児、御稔女らが衣装を改め化粧を施し神酒をいただく粉黛式と戴盃式が行われる。ついで石舞台において神事に奉仕する全員が修祓を受け、第一本宮で神事の奉告祭を行い、楽人、八乙女、御稔女、植女、替植女、稚児、風流武者、住吉踊りの踊子などが行列を整えて御田へ向かう。その後、御神水を御田の四方に注ぎ清め、早苗の授受が行なわれる。植女から替植女に早苗が渡されると田植えがはじまり、その間、舞台と田の畔とで八乙女による田舞、風流武者が紅白に分かれ、陣鐘・太鼓・ほら貝を鳴らしながら六尺棒を打ち合う棒打合戦、長柄の傘を開いて持つ音頭取の歌につれ、菅笠をつけた僧形の子供たちが、団扇を打ちながら傘のまわりを踊りまわる住吉踊など、様々な芸能が奉納される。
1979年(昭和54年)2月3日に重要無形民俗文化財に指定された。
【出典:Wikipedia 住吉の御田植】
住吉の御田植神事の芸能
すみよしのおたうえしんじのげいのう
民俗 無形民俗文化財 / 近畿
選択年月日:19711111
保護団体名:御田植神事保存会
備考:住吉の御田植 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています)
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
この芸能は、大阪市住吉区住吉町の住吉大社の祭(六月十四日)のおり、宮司以下各神職、八乙女、植女、御稔女(みとしめ)、稚児、風流武者、下植女、住吉踊などが行列を整えて、神田に参進し、田の中央に張り出した仮設舞台上で、植女から下植女が早苗を受け取り、神田で植付けをする。
その間、舞台と田のくろとで八乙女による田舞、風流武者が紅白に分かれ、陣鐘・太鼓・ほら貝を鳴らしながら六尺棒を打ち合う棒打合戦、長柄の傘を開いて持つ音頭取の歌につれ、菅笠をつけた僧形の子供たちが、団扇を打ちながら傘のまわりを踊りまわる住吉踊等がある。
この種の芸能の中で、規模が大きく代表的なものである。