01-00420 松山新助

さかいの人物じんぶつ

當津古來名譽めいよ人物じんぶつゑらんでこゝに載す

松山まつやま新助しんすけ

松山まつやま新助しんすけは堺津の人也
永禄ゑいろく年中三好みよしあつ爪牙さうがしん太閤記
はじめは本願寺の番士ばんしにてありしか天性てんせいゆうやさしく物事ものごと直成まめやかよろづ裁判さいばんあきらかなり
其上そのうへ小鼓こつゞみ尺八しやくはち早歌そうが藝態げいたいにもたつ髙家かうけ貴人きにん立入たちいり置酒ちしゆしてけうもよほ
やゝもすれば對陣たいぢんにも及ぶべきを新助しんすけ辨舌べんぜつにてしきければおさまりしことおほかりき

 

今に見る松山新助

堺市立中央図書館/堺市史
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)

(一五)松山新助
 松山新助は堺の人、始め本願寺の番士であつたが、永祿中三好家に仕官した。【諸藝練達】資性優雅辯舌爽かに、小皷、尺八、早歌等の藝能をもよくしたので貴紳に出入し酒筵の場所には常に列席して座興を添ふるを例とした。斯くして新助の名は敵味方の間に等しく喧傳せられ、【堺の名物男】堺の名物男としてもてはやされた。(堺鑑下、全堺詳志卷之下)

【出典:ADEAC(アデアック)ディジタルアーカイブ/堺市立中央図書館/堺市史