堺人物
當津古來名譽の人物を撰んでこゝに載す
松井宗誾
松井宗誾は代々當津に住して醫師を業とす
又哥道にも心をかけて古今傳授もしける也
初は與次郎と号し前代には和氣氏といふ
後醍醐帝の御時射術を以て恠鳥を射落ければ御悩平愈し其化鳥の落る所井の辺にして松篠ありしより和氣を改て松井と氏を賜ふ
紋所には彼篠を用ゆ
又哥道にも心をかけて古今傳授もしける也
初は與次郎と号し前代には和氣氏といふ
後醍醐帝の御時射術を以て恠鳥を射落ければ御悩平愈し其化鳥の落る所井の辺にして松篠ありしより和氣を改て松井と氏を賜ふ
紋所には彼篠を用ゆ
今に見る松井宗誾
堺市立中央図書館/堺市史
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
堺市史 第七巻
第一編 人物誌
第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(七八)松井宗誾
【和氣氏の出】松井宗誾其先は醫家和氣氏に出で、其祖與次郞後醍醐天皇の時勅命を奉じて恠鳥を射落し、氏を松井と賜はつたと傳へてゐる。代々與次郞を稱とし、後堺に移つて、醫を業とし、入道して宗誾と號した。心を歌道に寄せ、古今傳授をも受けたといふ。(堺鑑下、全堺詳志卷之下)