光明院
北莊櫛屋町にあり
浄土宗
福寳山不動寺と号す
往昔桓武天皇夢の中に一リの老翁に遇給ひける
かの翁か曰それ佛経は神代の和哥に等し
帝今佛経を信じ給ふ故に國家泰平を擁護し奉らん
我レは住𠮷の畔より來る也と奏す
帝御夢さめて後経藏を攝河泉の堺に造立し給ひて歌原藏となづけ給ふ
其後宇多帝の御宇に一如栄関大僧都かの経藏の畔に一堂を営て則歌原堂となづく
又順德院の御宇に浄土西山上人中興として専修念佛の易行を弘め貴賤を化益す
本尊阿弥陀佛
不動尊
不動利釼
浄土宗
福寳山不動寺と号す
往昔桓武天皇夢の中に一リの老翁に遇給ひける
かの翁か曰それ佛経は神代の和哥に等し
帝今佛経を信じ給ふ故に國家泰平を擁護し奉らん
我レは住𠮷の畔より來る也と奏す
帝御夢さめて後経藏を攝河泉の堺に造立し給ひて歌原藏となづけ給ふ
其後宇多帝の御宇に一如栄関大僧都かの経藏の畔に一堂を営て則歌原堂となづく
又順德院の御宇に浄土西山上人中興として専修念佛の易行を弘め貴賤を化益す
本尊阿弥陀佛
慈覺大師の作
後土御門院の御寄附
傳記は三條實隆卿の筆同帝宸筆の阿弥陀経十卷同じく御製の和歌六首佛号の六字を句の上に置て詠せ給ふ勾當内侍の添文あり當寺初は南莊にあり
不動尊
興教大師の作
御柏原院の御寄附状并に傳記同帝宸翰の阿弥陀経五巻梵網経壱巻あり
不動利釼
後奈良院の御寄附状同帝宸筆の阿弥陀経五巻梵網経壱巻あり
又桓武帝勅筆の大般若経の御序あり
又弘法大師眞筆の心経并に後小松院の御添翰其外霊佛寳噐古證文等擧て筭へがたし
逍遥院殿記云
四月廿日和泉堺南莊光明院にいたりてさま〱いたはりとも侍り
夢庵に音づれしかはやがて尋來れり
夕つけて又かの寄宿の寺へもまかり侍り
あくる日は光明院より夢庵をも招請して齋をまうけらる
廿ニ日髙野に叅詣の事思ひたちて宗珀といふものをしるべとたのみてまかりたち侍り
廿六日の暮にせまりて堺にかへりつきぬ
髙野叅詣の前より二十首題をくはりたりしをけふ夢庵にてとりかさぬへきよしありしかは
かしこにまかりて侍りしに哥舞にをよひてその興あさからす
旅宿郭公
いさとひて都のつとに草まくらさそはまほしきほとゝきすかな
江上眺望
こきかへり入江の舟の夕なみにさかひしらるゝをのかうら〱
寄杣木戀
宮木引こゑにこたふる山ひこもわか打わひてなくはしらすや
五月朔日光瑱といふもの連哥興行すへきよし頻に中侍りしかは光明院にて一座ありしに
濵松の名にやこたへしほとゝきす 牡丹花
みしか夜惜きうら波のこゑ 實 隆
すゝしさを光に月は秋立て 宗 硯