02-00600 金光寺

金光寺こんくはうじ


金光寺藤
 藤の花これまてあらはれいて蛸也  其角

同所にあり
時宗

本尊藥師佛やくしぶつ

仁明帝承和元年の珍怒海ちぬのうみ夜々よる〱光明あり
此由を奏して海底かいていあみしきければ此尊像を得たり
故に網道塲あみだうじやうがうし又金光こんくはう寺と勅号ちよくがうあり

開基眞澄しんちよう上人

稲荷大明神の告によつて阿弥陀佛三尊を感得かんとくしこゝに安置し念佛道塲とし給ふ

紫藤しとう

寺前にあり
麗花れいくはたるによつて後小松院勅して禁庭きんていへうつしうゑさせ給ふに不日にして枯にき
みかどゆめうちに和哥一首を得給ふ
 おもひきや堺のうらの藤浪の都の松にかゝるへしとは
御夢おんゆめさめてののちふじ精霊せいれい玉體ぎよくたいそうしけるよと御感ぎよかんあつて御宸筆ごしんひつに此哥を遊され御製を添られ紫藤しとうを當寺に胎返おくりかへされたまふ
旧趾きうせきうゆるにたちまちさかへ枝葉しよう繁茂はんもして元の如し
ひとみなこれを也とす
   金光寺の藤の花見て
 藤浪や上は夕波下は人   季 吟  

今に見る金光寺


妙国寺山門の手前に建つ道標。

 「右 名所金光寺藤の明神」と記されています。
 金光寺は明治35年(1902)宝珠院に合併され、現存しません。
 反対の面には「左 とさのをさむらいはらきりのはか」、「是より東へ半丁 明治戊辰殉難 土佐藩士墓所」と記されています。
 土佐十一烈士墓は慶応4年(1868年)に起った堺事件で切腹した土佐藩士11人の墓で、宝珠院(ほうじゅいん)境内にあります。

 

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