一路山禅海寺
乳岡の一路居士は塀の外に艸畚をおろし
ゆきゝの人に食を乞て遂に禅法の要を得て五門に精錬す
石津の上方市村にあり禅宗
京師大德寺の末泒也
開基一路居士
原洛西仁和寺一代の御門主たり
世を遁れてこゝに幽棲し詩哥を吟し清貧を樂しむ
月やみん月には見へすなからへてうき世をめくる影もはつかし 一路居士
世をしのふいほりの軒の朽ぬればいきても苔の下にこそすめ 仝
一休
同時の人也ある時一休和尚一路に問曰
萬法有レ道如何是一路 答曰 萬事可レ休如何是一休
一路居士
つねに半升鐺内に菜蔬を煮て范冉が釜魚を樂めり 其狂哥に曰
手とり鍋おのれは口がさしでたぞ雑炊焼と人にかたるな
此鍋細川の重噐となつて今にあり又ある時詩を賦して曰
節後黄花吹不レ飛 籬根臥レ雨似二薔薇一
萬年峯頂新長老 咲下二禅牀一對二布衣一
畚懸松
當寺にあり一路居士此所に閑居して人の往來を絶し一ツの畚を此松枝より下し志ある人に食物を受て露命をつなぎ給ひける
或ル時里の童ども馬糞牛の鞋など入れて置けれは居士それを見て最早我カ糧盡たりとて是より断食して終り給ひける也
眞に大隠にして観念の窓には空門を守り看経の臺には明月を照し履は階前の草を帯衣は戸外の塵なし
晋の惠遠法師三十餘年山を出ず俗塵に交る事を禁しけるも同日の論也