02-03400 華林寺

華林寺くはりんじ

蜂田はちた村にあり
清香山と号すいにしへは蜂田はちた寺といふ
今土人家原寺ゑはらでら奥院おくのゐんと呼ぶ

本尊藥師佛

行基の作座像
みたけ四尺許

開基大僧正行基

此所は行基の母公はゝきみ藥師女やくしぢよ家地いゑところ也追福のため建立し給うふ

今に見る華林寺


高野山真言宗 華林寺けいりんじ 全景
 

山門
 

本堂
 

本堂内部 寺号額
 

御本尊
 

本堂全景 側面
 

華林寺案内板

華林寺けいりんじ

 清光山せいこうざん華林寺と称し、高野山真言宗に属す。本寺の創建について、行基ぎょうき絵伝えでんによると花林寺けりんじ建立御年13才と記されているが、行基が13才の時母方の蜂田連はちたむらじが氏寺として創建したので蜂田寺とも呼ばれていた。
 慶雲3年(706)行基が39才の時、母親供養のために華林寺(花林寺・蜂田寺)を再興したとされ、また行基年譜によれば、同年朝廷から蜂田寺ほかに和泉の横山郷より修理用のそまを施入されたと記されている。
 以後、本寺は南北朝の乱や、戦国時代の兵火によって衰退、慶長19年(1614)大坂冬の陣の戦火で焼失、記録も失われたため寺史の詳細は不明であるが、延宝7年(1679)に僧広恵こうけいが中興した。伝承では広恵の祈禱によって旱ばつを免れた岸和田城主が寄進したとされている。
 本尊は厨子入れ薬師如来坐像で、前立まえだちに薬師三尊像を、その他に阿弥陀如来像・大日如来像・不動明王像・行基菩薩像・弘法大師像を、また地蔵堂には地蔵菩薩立像をそれぞれ祀る。また、行基の画像といえば老成した像が一般的だが、本寺に伝えられる鎌倉時代の画像は行基13才の有髪絵画で全国的にも例がなく、毎年旧暦2月2日行基の命日に掲示してお勤めが行われる。

    
堺市