華林寺
蜂田村にあり
清香山と号すいにしへは蜂田寺といふ
今土人家原寺の奥院と呼ぶ
本尊藥師佛
開基大僧正行基
清香山と号すいにしへは蜂田寺といふ
今土人家原寺の奥院と呼ぶ
本尊藥師佛
行基の作座像
長四尺許
開基大僧正行基
此所は行基の母公藥師女の家地也追福の爲建立し給うふ
今に見る華林寺
高野山真言宗 華林寺 全景
山門
本堂
本堂内部 寺号額
御本尊
本堂全景 側面
華林寺案内板
華林寺
清光山華林寺と称し、高野山真言宗に属す。本寺の創建について、行基絵伝によると花林寺建立御年13才と記されているが、行基が13才の時母方の蜂田連が氏寺として創建したので蜂田寺とも呼ばれていた。
慶雲3年(706)行基が39才の時、母親供養のために華林寺(花林寺・蜂田寺)を再興したとされ、また行基年譜によれば、同年朝廷から蜂田寺ほかに和泉の横山郷より修理用の杣を施入されたと記されている。
以後、本寺は南北朝の乱や、戦国時代の兵火によって衰退、慶長19年(1614)大坂冬の陣の戦火で焼失、記録も失われたため寺史の詳細は不明であるが、延宝7年(1679)に僧広恵が中興した。伝承では広恵の祈禱によって旱ばつを免れた岸和田城主が寄進したとされている。
本尊は厨子入れ薬師如来坐像で、前立に薬師三尊像を、その他に阿弥陀如来像・大日如来像・不動明王像・行基菩薩像・弘法大師像を、また地蔵堂には地蔵菩薩立像をそれぞれ祀る。また、行基の画像といえば老成した像が一般的だが、本寺に伝えられる鎌倉時代の画像は行基13才の有髪絵画で全国的にも例がなく、毎年旧暦2月2日行基の命日に掲示してお勤めが行われる。
堺市
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