蜂田神社
平井村にあり
延喜式内也
祭神
延喜式内也
祭神
天兒屋根命
今天神と称して氏神とす
今に見る蜂田神社
鈴の宮 蜂田神社
鳥居扁額「蜂田宮」
蜂田神社拝殿
拝殿扁額「鈴の宮 蜂田神社」
堺市設置境内案内板
蜂田神社
当社の起源は古く、当地を原籍とする蜂田連の祖天児屋根命を主祭神として祭る。
創建は明らかではないが延喜式神名帳にも記されている古社である。永禄年間以前の当社は、現在地より西一丁余り山麓に鎮座していたが、永禄十一年の三好衆対松永勢の家原城攻防が原因で現在地に遷宮したと伝えられている。近世では神宮寺として西林寺を併有
なお、明治政府の神社合祀策によって、明治四十三年(1910)付近の村社六社と無格社二社(八田荘七社、久世一社)を合祀した。
通称当社を鈴の宮と呼ぶのは当社の起源と思われる蜂田連が土焼きの鈴十二個を作り毎年春の初に神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事によるものである。
近年は境内に土でを使って十二種の占い鈴を作り、古式どおりの鈴占いを行うほか、開運厄除の御守鈴を作り参拝者の求めにより授与している。
堺市