02-05300 妙見山感應寺

妙見山めうけんさん感應寺かんをうじ


妙見山めうけんさん
感應寺かんをうじ

上神谷冨藏とみくら村の山中にあり四方疊山でうさん峨々がゝとして僧坊そうばう寂寥せきれうたり
れん宗堺津妙國寺に属す

妙見堂めうけんだう

祭神さいじん北辰ほくしんまつ
むかい法道はうだう仙人こゝに來り妙見菩薩感得かんとくの地也
年久しく荒廢くはうはいに及びしを堺津妙國寺の日俊にちしゆん上人再営さいゑい經宗きやうしう守護神しゆごじんとす
毎歳三月十六日九月十六日此山の法會はうゑにして詣人けいじん群集ぐんしうせり

今に見る妙見山感應寺


感應寺 山号・寺号碑
  

感應寺 鳥居
 

妙見堂

妙見堂側面・背面に彫られた彫物 



 

妙見山感應寺縁起略記

宗派  日蓮宗
山号  妙見山
寺号  感應寺
所在地 大阪府堺市南区富蔵
    泉北高速鉄道「泉ヶ丘駅」より、南海バス 畑行き、妙見下 下車約1キロ。
 妙見山感應寺は、日蓮宗に嘱し、総本山身延山であります。この寺は、通称上神谷の妙見さんと呼ばれております。
 今は去ること千三百有余年の昔、大化元年(645)に唐の国より法道仙人という大変に徳の高い僧がこの上神谷の地におこしになりました。太陽が少し西に傾く頃、長福寺という寺より峰づたいにお歩きになってこられたのか大きな松の木の根元に腰を下ろされました。法道仙人疲れからか、遂うとうととなされました。夜風にハッと気が付きますとあたりは真っ暗でございます。天を仰ぐと星が眩しい位にサンサンと輝いております。あまりの星のきれいさに法道仙人は立ち上り、北の空に向って大乗法華経を誦されますと北辰尊星が眼前に降ってまいりました。アッと法道仙人、驚きのあまり頭を下げ大地にひれ伏しになられました。恐る恐る頭を上げますと何と眼前に眩く輝く一童子が立っておりました。そしてリンリンと響き渡る声でもって「仏法甚深の法・法華経を擁護せば衆生の祈る所空しからず」と言い終えるや、一童子のお姿は閃光の如くかき消えてしまいました。法道仙人は北辰尊星の霊示を受けて一刀三礼(一度刀を刻むと三度礼拝する)の法を以て御浄刻、開眼されました御尊像がこのお堂に安置されております。
 このお堂は、寛政十年、今から二百年前に再建され、現存するご寄進帳を調べますと、皆様よくご存じの、紀ノ国屋等の豪商の名前がたくさん記載されております。当寺は和歌山・四国までも妙見講があり講中の方々が只今でも昔の街道のあちこちに右妙見山、左妙見山と刻まれた石の道標が現存していますがその道標を道しるべとして参詣されたようでございます。江戸時代より毬つき歌に、一に生駒の聖天さん、二に上神谷の妙見さん、三に讃岐の金毘羅さんと数え唄に歌われました霊験新たかな妙見さんとして、信仰を集める霊場でございます。

【出典:感應寺リーフレット】

 

感応寺 (堺市)

 感応寺(かんのうじ。正式には「感應寺」)は、大阪府堺市南区にある日蓮宗の寺。上神谷妙見(にわだにみょうけん)と通称される。山号は妙見山、本尊は妙見菩薩。旧本山は、堺妙国寺。堺法縁。

概要

 伝承によれば、645年(大化元年)、唐の僧・法道仙人が北辰(ほくしん、北極星)の霊示を受けて刻んだ、妙見菩薩の像をこの地に安置したのが感応寺の起こりであるという(なお、法道仙人については、唐でなく天竺(インド)の仙人とするのが一般的な伝承である)。その後は尊星降臨(そんしょうこうりん)の霊場となったという。
 妙見堂の側壁には、﨔の一刀彫の彫刻が施されている。地元では、所在地の地名をとって「上神谷の妙見さん」と呼ばれている。摂津国の能勢妙見 、河内国の星田妙見とともに「大阪府三大妙見」とも称されるが、交通の便が悪いことなどから知名度は低い。 毎年8月16日に行われる「万灯供養」は、多数の灯籠に火がともり幻想的な風景がみられる。

その他

泉北高速鉄道線泉ヶ丘駅から、泉北考古資料館、桜井神社、フォレストガーデンなどを通って鉢ヶ峯の法道寺まで向かうハイキングコースが、堺市によって整備されている。感応寺もハイキングルートの中に含まれている。

【出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』感応寺 (堺市)



上神谷妙見さんの満開の桜
写真では分かりずらいのですが、ピンクの山になります