03-00200 信太大明神

信太大明神しのだだいみやうじん


信太社しのだのやしろ

信太郷信太山にあり延喜式神名帳曰聖神社
例祭八月十五日信太郷中土生神とす社僧萬松院

祭神聖神

神系素盞鳥尊の孫大歳の神の御子なり
三代實録曰貞観元年五月七日和泉國聖神を官社に列す
同年八月十三日從五位下聖神に從四位下を授く

今に見る信太大明神(ひじり神社)


聖神社 拝殿
 

拝殿 扁額「聖神社」
 

本殿
 

境内案内板

ひじり神社

 
 聖神社は白鳳三年(674)、神武天皇の勅願によって信太首しのだのおびとが創建したと伝えられ、以降延喜式内社えんぎしきないしゃ、和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神しのだみょうじん」の別称でも人々に親しまれている。祭神は素戔嗚尊すさのおのみことの孫神「聖大神」を主祭神とし、天照大御神あまてらすおおみかみ他四柱の神々を配祀している。かつての境内地は信太山丘陵大半約百万坪を有していた。境内には国指定重要文化財である慶長九年(1604)再建の聖神社本殿をはじめ、末社の三神社本殿、瀧神社本殿があり、末社平岡神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。

国指定重要文化財

聖神社本殿(昭和25年8月25日指定)
 豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建し、屋根は桧皮葺ひわだぶき桁行けたゆき三間、梁間はりま三間の三間社入母屋造さんげんやしろいりもやづくりという神社建築様式で、桃山文化の粋を集めた極彩色の装飾が施された壮麗な社殿である。
末社三神社本殿(昭和52年1月28日指定)
 三間社春日造さんげんやしろかすがづくりと呼ばれる全国的にも珍しい建築様式で、屋根は桧皮葺、正面三間、身舎側面二間の前面に一間通りの庇を設け、極彩色が施されている。元は東南部の神護寺「奥の院」に鎮座していたが明治六年に現在地へ遷座した。
末社瀧神社本殿(昭和52年1月28日指定)
 三神社の北側に隣接、鎮座する社殿で、屋根は桧皮葺、正面一間、身舎側面一間の一間社春日造いっけんやしろかすがづくりである。

【出典:境内案内板】


聖神社 鳥居
神社の約1Km手前に建てられています
 

社名碑と常夜燈
常夜燈には「信太宮拜前」と刻まれています
 

境内の鳥居
扁額「聖神社」
 

社殿 拝殿と本殿
 

聖不動明王
 

末社 平岡神社
 

平岡神社 案内板
 

信太山丘陵から望む臨海工業地帯