03-04400 巻尾山仙藥院施福寺

巻尾山まきのおさん仙藥院せんやくゐん施福寺せふくじ


巻尾まきのおは西國巡礼じゆんれい第四番の札所也
観世音三十三しんに變して利益りやくほどこし給ふちなみにより三十三年目に開扉かいひあり
其時は難波津なにはつさかいの町及ひ遠近ゑんきんよりけい人多くして此山のにぎはひなるべし

[巻尾山施福寺挿絵 全景]

[巻尾山施福寺挿絵 巻尾山施福寺]


巻尾山まきのおさん施福寺せふくじ
西國巡礼第四番札所也

[巻尾山施福寺挿絵 槇尾門前]


槇尾まきのお門前もんぜん

槇尾まきのお山にあり已前は眞言宗近年寛文年中より天台宗と成
西國巡礼所第四番なり

本尊弥勒佛みろくぶつ

丈六

文殊もんじゆ

左の𦚰に安す
みたけ五尺

千手観音

右の𦚰に安すみたけ五尺
法海上人霊驗れいげんを蒙りて彫刻す所也
かたはらに四天王を安す

阿弥陀堂

本堂の南にあり

不動堂

本堂の戌亥にあり

大師堂

弘法大師を安す
本堂の北にあり

巻尾まきのお神社

本堂の南上壇の地にあり
當山は巻尾明神初て鎭座ちんざしたまふ霊地也
貞観六年秋七月從五位上を授く

開基かいき行滿ぎやうまん上人

時代詳ならす

妙法嶽によはうがたけ

役小角ゑんのせうかく法華ほつけ二十八ほんわけ葛城かつらきの峯に置き當山には不輕品ふけいほんを収む故に妙法嶽といふ

卒塔婆峯そとはかみね

本堂の西四町許にあり
大僧正行基懺悔ざんげ秘法の卒塔婆を立此ゆへに名とす

捨身嶽しやしんがたけ 隱水かくしみづ

ともに本堂の南にあり
弘法大師石渕いはふち勤操こんさうを師として當山にて落髪らくはつし延暦年中滿願まんぐはん寺を建て手自てづから彫刻の千手観音を安置し求聞持くもんじの法を修す
捨身嶽しやしんがたけ隱水かくしみづ等は弘法大師の遺跡也

清水瀧きよつのたき

本堂の西廿町許にあり

兠卒嶽とそつがたけ

本堂の北にあり

柴手水しばてうづ

不動堂の前にあり
當山に水とぼしければ弘法大師神咒しんじゆを誦して祈り給へは清水しみづたちまちわき出るこれを智恵水ちゑすいといふ
ひのきゑだ椿つばきの上に投てちかて曰我願ひむなしからすんば此木さかゆべし宣ふ
果して繁茂はんもす今椿の木檜葉ひのきのは生したる木此山に多し

覺超塔かくてうのたう

兠卒嶽とそつがたけにあり叡嶽ゑいかく覺超かくてうは當國素生の地なり遺言ゆいげんによりてこつを當山にをさ

𠮷祥院きちしやうゐんの舊蹟きうせき

當山にあり傳曰むかし𠮷祥天像を本尊とす又愛染あいせん堂ありとも遺跡ゐせき今なをそんせり
後世こうせい天女の像を日根郡近義郷こんきのがう𠮷祥園寺にうつ

名産松蕈まつたけ

槇尾松尾の二山より出るあちわひ也又茶の名物なり多く父鬼村より出す

それ當山たうさん四岳八峯しがくはつほう層鸞蒼翠そらんさうすいとしてあたかも蓮華れんげごとし山中に四十八たき三十六とうあり
むかし弘法大師こうばうだいし沙門勤操しやもんごんさうあふ落髪らくはつ虚空蔵こくうさう求聞持くもんぢの法をうけ沙弥しやみの十かいさづかり三ろんきは槇尾山寺まきのおさんじあつて初の名を教海けうかい如空によくうと改む
延暦十四年東大寺とうだいじたんのぼつ具足戒ぐそくかいうけ空海くうかいと改むその薙染ちぜん黒髪くろかみ當寺の什寳しうほうにあり
空海くうかい渡唐とたうの時青龍寺せいりうじ惠果ゑくは阿闍梨あじやりより傳來し給ふ眞言秘密しんごんひみつ論書ろんじよ帰朝きてうの時平城帝へいせいていへ奉りし將耒上表しやうらいのしやうひやうあり
後鳥羽院ごとばのゐん院宣ゐんせん後堀川院ごほりかわのゐん宣旨せんしこれみな寺田免除じてんめんじよ證文しやうもん
四條院しでうのゐん延應ゑんをう年中にはよこ山のがうを以て灌頂かんでう用途ようどとして仁治元年に灌頂堂くはんちやうだうたて給ふ
後深艸院ごふかくさのゐん建長けんちやう二年に別當べつたうさきの大僧正行遍ぎやうへんをして結縁けちゑん灌頂くはんてうしゆし給ふ
同三年には宣陽せんやう門院の御ぐはんによつて万花まんくは万燈會まんとうゑをこなはその用途ようととして𠮷見よしみ免田めんてんなはいせらる
同門院巻尾寺のちご十一人を伏見御所ごしよにめして五雙ごさう童番とうばんつとめさしむ御見聞衆ごけんもんしゆには鷹司女院たかつかさのによゐん近衛殿下このゑでんか兼經公かねつねこう
正嘉しやうかの頃には後深艸院ごふかくさのゐん寄附きふ法華經ほけきやうこれは後白河院ごしらかはのゐんつね御讀誦ごどくじゆ經書きやうしよ金銅こんどう阿字あじおなじく愛染明王あしせんみやうわう并に種子千躰しゆしせんたい普賢像ふげんのざう不動尊ふどうそん佛舎利ぶつしやりりう宝塔ほうたうこめられ當山にをさめ給ふ今寺庫じこにあり
又弘法大師より傳教大師へをくらる書艸ふみつう當寺たうじにありなを霊佛れいぶつ什寳しうはうあぐるにいとまあらず
今坊舎七十ありて免除めんじよ租税そぜいわづか六万石なり然れども山林さんりん若干そこばくひろふして樵夫せうふげうとし近郷きんがう農家のうかにこれを交易かうゑき
春はやなぎ糸緑いとぶちにして初花匂ふ頃より諸國の巡礼じゆんれいつらなけいして堂前だうぜんむかひひて詠哥ゑいかとなへあるは坊中ばうちう宿やどかりて一山のにぎはひ也
そも〱此山は當國の髙山かうさんにして路邃みちふかふしてくもほうし日の出る事をそ
和泉いづみの方よりのぼるにはたに川をみぎりにしひだりにしてみちせばからず
後山こうさん河内路かはちぢくだるには山路さんろほそうして嶮難けんなんいしくるま歩行ほかうなやわづら
これを巡礼道じやんれいみちとて難行なんぎやうの一なるべし
これよりたきがはたといふ所へ出て天野あまのかうたき髙野山かうやさん街道かいだう
山嶺さんれい劉阮りうげんくすりとり天台山てんだいさんして雲竇うんとうやま滿みち鳥雀てうじやくなく水聲すいせいたにふて笙簧しようくはうあるの霊鸞れいらんにしてまこと殊勝しゆしやう寳閣ほうかくなるべし