龍卧山久米田寺
久米田寺
久米田寺村にあり眞言古義又隆池院と称ず
行基開基四十九院の中也
本尊
中尊 釋迦佛 左 文殊 右 普賢
聖武帝除厄の爲作らせ給ふ
不動堂
本堂の左にあり
観音堂
本堂の左上壇の地にあり
開山堂
同上
三石塔
當寺の南にあり
聖武天皇 光明皇后 亀山禅定の墳墓也
當寺縁起は行基菩薩の眞筆也其大意に曰
隆池院は一國の命珠万民の依怗也
堅牢地神黄牛に現して塊を曳日月星辰白人に示して堤を固す
大聖老人は鷲峰海會の土を運びてこゝに築き善哉童子は清涼山堀の壌を荷てこれに加ふ
こゝに一天の聖主勅詔を降して行幸を遂万乗の文武官符を捧て命池に臨む
内大臣の某殊に㓛を到し光明皇后勝れて力を加ふ
遂に去ル神亀二年乙丑二月五日始て寳池を堀天平十年戊寅孟秋を以て㓛を成願を滿畢ぬ
五間四面の堂一宇釋迦普賢文殊の像を安す
塔婆一基鐘樓経藏僧房二宇餘房二十宇は常住僧の坊なり
爰に親父髙志定知貧道と奏聞を經て刕吏に達し敷兆を定め四至を限る
所謂東は角河の流れ春木峰并に上ノ津川の東峯七層峰を限り南は葛木の横峯を限り西は松村の登路并に延年ガ峯又坂の切上を限り北は熊野詣の大道を限る
件の四至の内田畠地利を募て佛聖の燈油住僧の依怗とすへし云云 中畧
帰源の淨業怠らず故に水田三百町山林千町こゝを以て寳池に修理を加へよ
此法水利益に預るの民此池流の餘水に懸る輩かならず法力の驗を仰ん
又命じて同く龍葩の暁に及んと欲す
遮て將來末代の違乱を停止ん爲記録する所如レ件天平十年戊寅十二月十八日云云
當寺什寳に後髙倉院の院宣大塔宮の令旨楠正成の添書新田義貞の書足利尊氏同く直義の書大佛陸奥守髙ノ師直の書仁木細川の書楠正儀の書鹿園院の文沙門禅尒の勧進帳其外
將軍家古證書数通あり