龍谷山水間寺
水間寺
水間村にあり水間川の水源は二流あり一つは大川村の東より出て大川といふ一つは蕎麦原村より出て蕎麦原川といふ
倶に水間に至り相合ふて水間川といふ二流の中間にあれば水間寺といふ
本尊正観音
赤栴檀 長四寸 天竺文殊菩薩ノ作
むかし天平十六年聖武天皇霊夢を感し給ひ行基に當山を見せしめ給ふに瀧の本より龍神顕れ忽老翁と化し語ツて曰
こゝに天竺霊鷲山の霊佛文殊の作り給ふ観世音の尊像ありこれを帝に上に佛閣を営給はゝ國家長久ならんと告る
行基即此よしを奏し霊塲を建営し給ふ毎歳二月初午の日を法會とし群叅す
若宮社
聖武帝の霊を祭る
鎭守社
熊野 藏王 白山
弁財天祠
南上壇にあり
開山堂
同上
水間瀧
橋の上にあり
爪切不動
瀧の本にあり
多宝塔
本堂の前にあり近年囬禄の災に及ふ今礎のみ也
藥師堂
南上壇の地にあり
護摩堂
川の側にあり
廊下橋
本堂の南にあり
當寺はむかし堂塔巍々として坊舎百三十餘宇あり
今四十坊許にして多くは樵夫農業を兼る
古文書には順德院勅して殺生禁制の証書あり
後村上帝の祈願寺と成綸旨
將軍義滿の時軍卒狼藉の制狀尚数通の證文あり
名木椿
水間の椿は木立優して色麗し
むかしより世に名髙し
水間の瀧を見て
一輪は瀧へ飛入椿かな