03-06900 龍谷山水間寺

龍谷山りょうこくさん水間寺みつまてら


水間寺みづまてら

水間村にあり水間みづま川の水源は二流あり一つは大川村の東より出て大川といふ一つは蕎麦原そはら村より出て蕎麦原川そはらかはといふ
ともに水間に至り相合ふて水間川といふ二流の中間ちうげんにあれば水間みづま寺といふ

本尊正観音しやうくはんをん

しやく栴檀せんだん みたけ四寸 天ぢく文殊もんじゆ菩薩
むかし天平十六年聖武天皇霊夢を感し給ひ行基に當山を見せしめ給ふに瀧の本より龍神顕れ忽老翁と化し語て曰
こゝに天竺霊鷲山の霊佛文殊の作り給ふ観世音の尊像ありこれを帝に上に佛閣を営給はゝ國家こくか長久ならんと告る
行基すなはち此よしを奏し霊塲を建営し給ふ毎歳二月初午の日を法會とし群叅ぐんさん

若宮社わかみやのやしろ

聖武帝の霊を祭る

鎭守ちんしゆの

熊野 藏王 白山

弁財天べさいてん

南上壇にあり

開山堂かいさんだう

同上

水間瀧みづまのたき

橋の上にあり

爪切不動つめきりのふどう

瀧の本にあり

多宝塔たほうたう

本堂の前にあり近年囬禄のさいに及ふ今いしずゑのみ也

藥師堂やくしだう

南上壇の地にあり

護摩堂ごまだう

川のかたはらにあり

廊下橋ろうかはし

本堂の南にあり

當寺はむかし堂塔々として坊舎百三十餘宇あり
今四十坊許にして多くは樵夫せうふ農業のうげうかね
古文書には順德院じゆんとくゐんちよくして殺生禁制の証書あり
後村上帝の祈願寺と成綸旨
將軍義滿みつの時軍卒狼藉の制狀尚数通の證文あり

名木椿めいぼくのつばき

水間の椿は木立ゆうして色うるは
むかしより世に名髙し
  水間の瀧を見て
 一りんたき飛入とびいり椿つばきかな