03-07400 和泉式部旧蹟

和泉式部いづみしきぶの旧蹟きうせき

上松村にあり俗式部塚といふ當國の内和泉式部の旧跡といふものすべて三十餘所あり
日根ひね谷川たかは小嶋の邊に至りては式部楊枝やうじ清水しみづ 鏡石かゞみいし 漿水壺をはくろつぼとてさま〲の名あり
式部は上東門院の侍女和泉守道貞みちさだつま也故に和泉式部といふ
其後道貞みちさだに捨てられて藤原保昌やすまさ
貴布袮きふねの社にて蛍の和哥御堂関白通り給ふ時の哥代々勅撰ちよくせんに多し
然れども和泉國に赴きし躰曽て見へず後人和泉の名によりて作るものか甚だ不審いぶか
式部は老後誠心寺に籠りて尼となりをはりとげらる
命終めいじうの地は京師上京小川なり今京極寺町に和泉式部のつか
軒端梅のきばむめは秀吉公の命により上京より今の地へ遷す所也
當國の和泉式部の名跡めいせきといふもの一としてしんなるは見へず