04-01800 蟻通大明神

蟻通ありとをし大明神


蟻通ありとをし明神社
 けん〱と雉子なとかめそ蟻通 木因


蟻通ありとをし
山家
 さゝかにのくもてにかけてひく糸や
  けふ七夕にかさゝきのはし 西行

中通莊長瀧村の北にあり本社 東向 拜殿 朱の鳥居あり
末社は五社の明神 住𠮷 多賀 愛宕を本社の左に祭る
四面林中しめんりんちうにして神前しんぜんに馬塲二町ばかりあり
かぎりに又あけの鳥居あり竪額たつがく 蟻通ありとをし大明神 筆者つまびらかならず
此鳥居の右に鐘堂 神宮寺あり真言律宗にして宗福寺といふ
本地堂には毘沙門天 不動尊を安置す 其東に社家あり
例祭まつり八月廿七日 長瀧村生沙神うぶすなじんとす

祭神さいじん

清少納言枕草子を以て本とすとそ 社傳旧記なし寺僧曰
開化天皇の御宇初て祭るとなん云傳へける不詳
枕艸紙春曙抄
ありとをしの明神貫之つらゆき馬のわつらひけるに。馬より神のものかたり也四貫之集にあり此明神のやませ給ふとて哥よで奉りけんに。やめ給ひけんいとおかし。此ありどをしをしとつけたる心は。誠にやあらん。むかしおはしましけるみかとの。只若き人をのみおぼしめして。四十よそじに成ぬるをばうしなはせ給ひけれは。人の國のとをきにいきかくれなどして。更に都のうちにさる物老いたるもの也なかりけるに。中將なりける人の。いみじき時の人にて。心などもかしこかりけるが。なゝそぢちかき親ふたりをもたりけるが。かう親の心也四十よそじをだにせいある制也 法度の心也にましていとおそろしとおぢさはぐを。いみ中將の事也しうけうある人にて。とをき所には更にすませし。一日ひとひ一度ひとたび見てはえあるまじとて。みそかによる〱家の内の圡ほりて其うちに屋をたてゝ。それにこめすへて。老親ををく也いきつゝ見る。おほやけにも人にも。かのおやはこゝになしといふこゝろ也うせかくれたるよしをしらせてあり。などてか草紙の地入ゐたらん人をばしらてもおはせかし。うたてありける世にこそ。おやは上達阝かんたちめなどにや有けん。中將など子にてもたりけんはいと心かしこくよろづの事しりたりければ。此中將わかけれど。ざえあり心の操の發明なる事也いたり賢くして。時の人におぼす成けり。もろこしのみかどこの國のみかどを。いかてはかりて。此國うちとらんとて是も此帝をろかにて老人を捨給ふこゝろあるゆへに他國よりもうかゝふなるべし。常に心見イ心見をしあらがひ事をしてをくり給ひけるに。つや〱とまろにうつくしげにけづりたる木の二尺はかりあるを。これがもと末いづかたぞととひ奉たるに。すべてしるべきやう此國の人いづれも若くて分別なかりし故也なれば。みかどおぼしめしわづらひたるに。いとおしくて。中將の心也おやのもとにゆきて。かう〱の事なんあるといへば。老父の詞也はやからん川にたちながらよこさまになげ入見んに。かへりてながれむかたをすゑとしるしてつかはせとをしふ教也まいりて中將叅内して也我しりがほにして。心見侍らんとて。人々ぐして川邊へ同道して也なけいれたるに。さきにして行かたにしるしをつけてつかはしたれば。まことにさなそれ也りけり。又二尺ばかりなるくちなはのおなじ二疋也やうなるを。是はいつれか男女とて奉れり。又さらに人えしらずれいの中將ゆきてとへは親に問也二つ親の教る詞也をならべて尾のかたにほそきすはえ木のいた也をさしよせんに。おは尾動也たらかさんをめとしれ女と知れと也といひければ。やがてそれを内裏だいりのうちにてさしければさやうにする也。まことに一つはうごかさず。一つはうごかしける。又しるしつけ雌雄をしるしたる也てつかはしけり。程久しうして。なゝわだ曲也にわだかまりたる玉の中とをりて穴のまがりとをりし也。左右に口あきたるがちいさきを奉りて。これに緒也とをしてたまはらん。此國にみなし彼國俗此玉に緒を貫と也侍る事なりとて奉りたるに。いみじからん物の上手至たる物の上手も此玉には緒をえとをさじと也ふよう不用也ならん。そこらそこばく也の上達阝よりはじめて。ありとある人しらずといふに。又いきて中將老父に問也かくなんといへば。おほき老父の詞也なるあり蟻也を二つとらへてこしにほそき糸をつけ。又それに今すこしふときをつけて蟻のこしにほそきをつけ玉を貫くべき緒に今少しふときをせんとてあなたの中つきにせし也口にみつイみちをぬりて見よといひけばさ申て中將其由を帝へ申也。ありをいれたるけるに。みつのかをかぎて蟻のよくゆくへきがためなるべし。まことにいととうあなのあなたのくちに出にけり。さて其糸のつらふかれたるをつかはしたりける後になん。猶日本ひのもと・やまとはかしこかりけりとて。のち〱はさる事もせさり心見の事をせぬ也けり。此中將帝の御こゝろ也をいみじき人におぼしめして。何事イ何わざをし。いかなるくらゐをか給はるべきとおほせられけれは。さらに中將の詞也つかさ位をも給はらじ。只老たる父母のかくれうせて侍るをたづねて。都にすまする事をゆるさせこれ中將我父母の事をいふにあらずすべて世人の父母をやるされん事をいへるなるべし其中に我父母の事はこもれば也給へと申ければ。いみじうやすき事とてゆるされければ。よろづむの人のおや是をきゝてよろこぶ事いみしかりけり。中將は大臣までになさせ給ひとなんありける。さて其人の神かの老父をいふ也になりたるあらん。此明神のもとへまうでたりける人に。よるあらはれてのたまひける。
   袋草紙にも此哥蟻通明神の御哥としるして
    是昔かの社の邊に旅客の宿れる夢にしめし給ふ哥といふ
    これも枕草子に付ていへるにや

  なゝわたにまかれる玉のをゝぬきてありとをしともしらすやあるらん
との給ひけると人のかたりし
貫之家集
きのくにゝくたりてかえりのりし道にてにはかにむまのしぬへくわつらふところに道ゆく人々立まとりて云これはこゝいますかるかみのし給ふならむとしころやしろもなくしるしも見えぬとうたてあるかみなりさき〱かゝるにはいのりをなんもうすといふにみてくらもなければなすわさもせて手あらいてかみおはし氣もなしやそも〱何の神とかきこえんととへはありとほしの神といふをきゝてよみてたてまつりけるむまのこゝ地やみにけり
古今
 かきくもりあやめもしらぬおほ空にありとほしとは思ふへしやは  貫之

冠池かふりのいけ

當社の北壱町ばかり街道かいだうかたはらにあり きの貫之つらゆき落馬らくばの古跡といふ
後世こうせい往還わうくはん旅人りよじん神祟しんそうありとて本社は街道かいだううしろにして東向なり

㠶下松ほさげまつ

佐野さのの南にあり渡海とかいふね此松を當社のめあてとしを下げおろしとをるなり
此ゆへに名とす