禅興寺古蹟
長瀧村にあり新羅金麻蘓の草創也金麻蘓邇は本朝に來ツて若干の恩地を賜ふ
遂に領地の半を割て公に返し半は當寺佛餉燈油及び修造の料す
其後大和國に豊浦大臣といふ人あり私領に豊浦寺を建當寺をもつてかの寺の別院となし當寺領を押へ取る
故に當寺の僧徒等怒を起し一心を佛神を祈る
時に大地震動する事三日夜かの寺僧侶数輩雷のたに死す
大臣驚て領地を當院に返す
當寺寳物領地等の記文一通は難波の四天王寺の寳藏に収む一通は當寺の庫にあり
昌泰元年十月十七日の火災に堂宇并記文こと〱く焼失す
今僅に殘る所宝物 田畠 山林 野地あり 永承五年六月當寺の舊記に載す
遂に領地の半を割て公に返し半は當寺佛餉燈油及び修造の料す
其後大和國に豊浦大臣といふ人あり私領に豊浦寺を建當寺をもつてかの寺の別院となし當寺領を押へ取る
故に當寺の僧徒等怒を起し一心を佛神を祈る
時に大地震動する事三日夜かの寺僧侶数輩雷のたに死す
大臣驚て領地を當院に返す
當寺寳物領地等の記文一通は難波の四天王寺の寳藏に収む一通は當寺の庫にあり
昌泰元年十月十七日の火災に堂宇并記文こと〱く焼失す
今僅に殘る所宝物 田畠 山林 野地あり 永承五年六月當寺の舊記に載す