04-02900 犬鳴山七寚瀧寺

犬鳴山いぬなきさん七寚瀧寺しつほうりうじ

[犬鳴山七寚瀧寺挿絵 全景]


犬鳴山いぬなきさん七寚瀧寺しつほうりうじ


犬鳴いぬなきの山路さんろ


むかし獵夫りやうふあつていぬひき山中に入て鹿しかうかゞふ かたはらたき毒虵どくじや有て獵師をのまんとす
獵夫がこゝろ𢈘しかに在てこれをしらず いぬ数声すせいほへて其しゆつく
獵師いまだこれをさとらず 鹿犬のほゆるにおどろひて去ぬ
獵夫いかて其犬をる 犬のかしらをと毒虵どくじや齧殺かみころ
其時犬恩義おんぎを知てわがいのちたすけし也 これによって出家してこゝに一精舎しやうじやを建けり
故に犬鳴山いぬなきさんと称ず

大木村おほきむらの東にあり巉崖さんかん危磴きとうにして蓁樹しんじゆ茂密もみつ
路傍ろばう梵字ぼんじゑりたる標石ひやうせき壱町ごとにあり
大木おほきよりのぼる事すべて廿町
山中に飛泉たき七ツあり
下流かりうみちまたがりみぎりにしひだりにし岩上がんしやうのぼ
其半そのなかば大巌だいがんあり 山上嶽さんじやうがたけ 大天上だいてんじやうの如し

本堂

山中にあり 中尊 不動明王 みたけ壱尺八寸 役行者の作
左 役行者 右 弘法大師 宗旨眞言古義

燈明嶽とうみやうがたけ

當山の絶頂ぜつてうをいふ
西の海面うみつら闇夜あんや渡海とかいの舩方角はうがくを失ふの時當山の不動尊を念する時此みね燈明とうみやうかゝやくといふ

两界瀧りやうかいのたき

登山の初にあり 口の瀧ともいふ

たう瀑布たき

两界の上にあり 二の瀧ともいふ

弁財天瀧べんざいてんのたき

又其上にあり 三の瀧といふ

固津喜瀧こつきのたき

又其上にあり 四の飛泉ともいふ

おくたき

又其上にあり 五の瀧ともいふ

千手瀧せんしゆのたき

又其上にあり 六の瀧ともいふ

布曳瀧ぬのひきのたき

又其上にあり 七の瀧ともいふ

此七の瀧より七宝瀧寺といふ
寺記曰むかしさきの九條殿下でんか植通うへみち一時あるとき此山に登臨とうりんして和哥をゑいし給ふ
 おもひきやなゝたからたきにきてむつのにごりをきよむへきとは 九條殿下
 豆蔦まめつたにみちをもとめつ瀧の水              籬嶌

東覗ひがしのぞき 西覗にしのぞき

俱に當山の行塲也 本堂の上にあり

笈掛石えいかけいし 四寸巌しすんいは

登山の道にあり

屏風岩

當山の北にあり

行塲石ぎやうばせき

役行者修行し給ふ所也 當山の奥にあり

天狗松てんぐまつ

燈明嶽の西にあり

風穴かざあな

奥の瀧の上にあり 四時風を起す

連理枝れんりのゑだ

本堂の下にあり

押上石おしあげいし

本堂の臺石なり
幅十丈 髙三十丈許 本堂を岩上へさゝをきたるが如し

大黒石だいこくいし

口の瀧にあり

虵腹じやはら

本堂の上にあり

梵字石ぼんじせき

當山に四十八ヶ所あり 志一上人これを建る
山中に毒虫どくちう魍魎まみの類なし 此密印みついんの竒特にや

石綿いしわた

奥の瀧の傍にあり

官女くはんじよ志津墓しづのはか なみだてき

共に道の傍にあり

犬の墓

道の左十間許にあり 石面に梵字ぼんじゑる 由縁ゆゑんひだりに見へたり

それ此山はゑん優婆塞うばそく草創さう〱
自作じさく不動尊ふどうそん本尊ほんぞんとす
犬鳴いぬなきなづくる事はむかし獵師れうしありていぬひき此山に入て一𢈘しかうかが
かたはらおほひなるじやあり かしらあげてかの獵夫れふふのまんとむか
獵師れふしこゝろ𢈘しかにあつてこれをしらず
いぬ数聲すせいはつしきりない其主そのしゆつぐ
獵夫れふふいまだその由致ゆちさとことあたはず
鹿しかいぬほゆるにおどろひてりぬ
獵夫れふふ犬にいかつ其犬そのいぬ
いぬかしらたちまちをどつじや齧殺かみころ
於是こゝにおいてその鳴事なくことみだりならざる事を
其時そのときひとみないはくいぬ不動ふどう使獣しじうこれひとへ明王みやうわう霊驗れいげんなり
獵夫れふふ感嘆かんたんして此てらあり薙髪ちはつしてなが殺業せつげうやめける也
かるがゆへ犬鳴山いぬなきさんといふまたあるひ白雲院はくうんゐんがう
むかし淡路あはぢ小聖せうせいといふものありしば〱禁闕きんけつ上下しやうか雲客うんかくしたが
宮嬪きうひん志津しづといふ女此小聖せうせい戀慕れんぼたちまちおこ寤寐こびわするゝ事なし花鳥くはてう使つかひ百千もゝちつう
小聖せうせいこれをさけんとて此山にのがかく
志津女しづぢよあとふて巌徑がんけい崎嶇きぐういた
其時そのとき忽然こつぜんとして白雲はくうん掩映ほんゑいにはか小聖せうせいところかく
志津女しづぢよ悲泣ひきうたへずして路傍ろはう愁死しうし
ときひとこれをあはれんて葬埋そうまい
つかくもあればすなはちかならずあめこれ志津しづ餘涙よるいといふ
またかたはら小瀧ほうのたきありこれをなみだ飛泉たきとなづく
白雲はくうん小聖せうせいようするにまのあたりの不動尊ふどうそん擁護をうごするところ也故に院号ゐんがうとす
南朝なんてう正平しやうへい年中に志一しいつ上人といふあり紀州きしう粉河こかは英産ゑいさんにして顕密禅けんみつぜん三宗さんしう兼修けんしゆ
土丸つちまる城主じやうしゆ橋本はしもと判官はんくはん正髙まさたか勧勵くはんれいしてほゞ堂宇たうう再営さいゑい寺院じゐん經始けいしじつに此山の中興ちうこうなり
そも〱當山たうさんをかんが見るに荊州けいじう衡山かうさんにやしぬらん
劉敬叔りうけいしゆく古時こし文字もじあるはとりあとのこしける神禹しんうもあらんや
火德くはとく中天ちうてん日月じつげつたす炎方ゑんはう乾坤けんこんちんずるの霊區れいく
此山の土産とさんにはべといふあり これをとついゑをさむ 大峯おほみねなぎるい
  犬鳴にて
 山里はねられさりけり夜もすからまつふく風におとろかされて 和泉式阝
 岩檜葉の間をめくりて瀧涼し                斑竹
 秋の夜や犬鳴山の經の聲                  衆雲