大井堰大明神
日根社
馬塲前
大井堰明神
日根野莊日根野村にあり例祭四月二日
日根野莊の惣社にして生土神とす
祭神鸕鷀草葺不合尊
延喜式内なり聖武帝の御時勧請し給ふといふ
比賣神社
大井堰社鳥居の南にあり延喜式内也
三代實録曰貞観元年五月七日壬戌和泉國比賣神を官社に列す
同八月十三日丙申無位比賣ノ神に従五位上を授くと云云
一説曰茅渟宮の舊蹟此やしろより近し此賣神は衣通姫也とそ
一名溝口村の前にあれば溝口大明神と呼ぶ
末社
住𠮷 祗園 賀茂
熱田 春日 稲荷
大井堰川
本社の南にあり 两岸岩石疊々として松檜繁茂し其中を流るゝ水音浙瀝として眞に神さひこゝろ清わたりて森然たる霊地なり
牛石
大井堰川の中にあり
姥櫻
神宮寺慈眼院の前にあり
竒代の大樹にして枝葉へ漫り花の時は遠近こゝに來りて宴を催して春日の永きをおしむ
御手洗川
本社の右にあり
二層塔
本社の乾にあり
大日を安す
藥師堂
塔の西にあり
不動堂
姥櫻の東にあり
毘沙門天社
本社の門の左にあり
束草集當社修造の願文に云ク
大井堰大明神は泉州五社の其一ツにして虚往實帰の益日々に新也
朝祈暮賽の禮年に舊たり
然るに正平八年二月兵戦境に交り軍旅隣を卜て神殿 拜殿 寳塔 鐘樓 經堂 廻廊 樓門 瑞籬 荒垣 末社等こと〲く破壊す
故に八月十五日五社會合の祭禮を闕んと欲す
抑當國五社會合の祭禮はいにしへよりいまた曽て一社も闕の例あらず
餘社の神官これを訴へ官符頻に下るに依て神輿を國府に發奉りぬ
正平十年八月日覺豪阿闍梨の請によつて艸す
本文の繁を厭ふて䖏々これを畧しぬ