一乘山金熊寺

金熊寺
信達莊金熊寺村にあり
眞言宗 観音院と号す
金熊権現社
阜の上にあり
祭神 金峯 熊野を併せ祭る 例祭九月十六日
信達莊十三箇村の生土神なり
疫神社
本社の左にあり
或ガ日延喜式畿内十䖏の疫神あり
和泉と紀伊と境に一座とは是なりとぞ
佛殿
本社の下壇の地にあり
本尊 如意輪観世音
役行者堂
本堂の左にあり
藥師堂
本堂の右の方にあり
地藏堂
藥師堂の前にあり
鐘堂
本堂の左にあり
弁財天社
本社の左にあり
末社
山王 庚申 子安社
束草集當寺供養願文ニ云
泉州信達莊金熊寺の本尊如意輪観音は役行者霊夢を感じて金銅六寸の尊像を土中に得たり
故に自四肘の木像を造ツて彼聖容を納め當寺に安す
幸に正安元年正月廿八日の火難を免れたり 人咸竒也とす
然るに今造営及び修補する所は本堂 藥師堂 鐘樓 中門 金銅三尺ノ鏡 面に観音像鑄顕す 两界の曼荼羅等也
當山鎭守の神は行者 金峯 熊野の两神を勧請す 故に金熊寺と号す
應長二年三月廿八日敬白省テレ繁ヲ採ル二要文ヲ一
今に見る一乗山金熊寺
金熊寺

金熊寺
所在地 大阪府泉南市信達金熊寺813
位置 北緯34度20分19.4秒 東経135度17分17.9秒
山号 一乗山
宗派 真言宗御室派
本尊 如意輪観音
創建年 天武天皇2年(682年)
開山 役行者
札所等 和泉西国三十三箇所第29番
阪和西国三十三ヶ所観音霊場第29番
金熊寺(きんゆうじ)は、大阪府泉南市信達金熊寺にある真言宗御室派の寺院。山号は一乗山。本尊は如意輪観音。宗教法人名は観音院。隣接する信達神社とともに大阪みどりの百選に選定されている。
歴史
天武天皇10年(682年)に、役行者が夢のお告げによって土中より金銅仏を得、自らも木仏を彫り上げて堂を建立してそこに安置したのを起源とする。その際、寺名は役行者が金峯・熊野の両神を勧請し、当寺の北にある信達神社に合祀して信達神社を当寺の鎮守にしたことにちなんで金熊寺としたという。以降、信達神社は神仏習合もあって金熊寺大権現宮と呼ばれるようになった。
正安元年(1299年)には、永仁の徳政令の煽りを受けて焼き討ちに遭い諸堂が罹災したが、本尊と薬師堂は焼失から免れたという。
応長2年(1312年)と延元3年(1338年)には修復が行われ、元に近い姿に戻された。
天正5年(1577年)に織田信長による雑賀攻め、次いで天正13年(1585年)には羽柴秀吉による根来攻めと相次いで行われた紀州征伐の兵火に遭って焼失したが、信達村の人々によって承応2年(1654年)に再興された。
1868年(明治元年)の神仏分離により、信達神社は金熊寺から独立した。
金熊寺は多くの堂、塔頭を擁する寺院であったが、現在は塔頭の観音院のみが残って金熊寺の寺跡を継いでいる。
境内
・本堂
・庫裏
・鐘楼
梅林
金熊寺は古くから泉州の梅の名所として知られ、隣接する信達神社とともに大阪みどりの百選に選定されている。
延宝2年(1674年)に信達神社神主・矢野氏に「この地に梅樹を植えると神領益々隆盛となる」というお告げがあり、矢野氏一族及び土地の人々の手によって栽培された。
1898年(明治31年)に印刷された『泉州金熊寺梅渓全図』によると、根来街道に沿って六尾から桜地蔵付近まで梅林が続いている。
前後の札所
和泉西国三十三箇所
28 長慶寺 - 29 金熊寺 - 30 長楽寺
阪和西国三十三ヶ所観音霊場
28 林昌寺 - 29 金熊寺 - 30 地福寺
アクセス
