自然居士秃倉
自然田村の中にあり 自然居士の木像安置す 長弐尺許
近年此像に丹青を以て彩色を補入す 古雅殊勝の相を失ふ
伝聞居士は此地の出産也 故に自然居士と号すとぞ
始は南都興福寺に入て法相を学び其後禅宗に據て南禅寺大明國師の弟子として東山雲居寺に止住す
墓は京師西九條村福田寺にあり
因云 江州観音城の東嶺に軍神を祭る 其社を陽林堂と号す
聖一國師初め駿州久能寺より江州桒實寺に移住す
近江守源ノ信綱國師の道様威風抜羣を貴ぶ
其後國師宋國に入ツて徑山の無準の法を嗣
國師無準に請て陽林の二字を手書せしめ帰朝の後これを信綱に與て舊好を報ず
正安二年仲冬源ノ頼綱自然居士をして其事を書しめ額の裏書の文とし給へり
則自然居士の筆也
近年此像に丹青を以て彩色を補入す 古雅殊勝の相を失ふ
伝聞居士は此地の出産也 故に自然居士と号すとぞ
始は南都興福寺に入て法相を学び其後禅宗に據て南禅寺大明國師の弟子として東山雲居寺に止住す
墓は京師西九條村福田寺にあり
因云 江州観音城の東嶺に軍神を祭る 其社を陽林堂と号す
聖一國師初め駿州久能寺より江州桒實寺に移住す
近江守源ノ信綱國師の道様威風抜羣を貴ぶ
其後國師宋國に入ツて徑山の無準の法を嗣
國師無準に請て陽林の二字を手書せしめ帰朝の後これを信綱に與て舊好を報ず
正安二年仲冬源ノ頼綱自然居士をして其事を書しめ額の裏書の文とし給へり
則自然居士の筆也