飯盛山
深日村の東にあり 形飯を盛たるか如し 故に名とす
此ほとりの連山に秀て髙し
むかし山上に飯盛寺あり 役行者の開基なり 今旧礎を遺す
峯中記云 飯盛寺は本尊釋迦 藥師なり
元仁五年四月證文云 飯盛寺山嶺の堺 東は作佛房谷を限り 西は孝良下を限り 南は七曲を限り 北は白樫ノ尾を限る
正和四年十一月當莊の領主平ノ宗繁寺田寄附の證文あり
宗繁は北條髙時の家族 五大院右衛門と号す
髙時の嫡男邦時の母は此宗繁の妹なり
此ほとりの連山に秀て髙し
むかし山上に飯盛寺あり 役行者の開基なり 今旧礎を遺す
峯中記云 飯盛寺は本尊釋迦 藥師なり
元仁五年四月證文云 飯盛寺山嶺の堺 東は作佛房谷を限り 西は孝良下を限り 南は七曲を限り 北は白樫ノ尾を限る
正和四年十一月當莊の領主平ノ宗繁寺田寄附の證文あり
宗繁は北條髙時の家族 五大院右衛門と号す
髙時の嫡男邦時の母は此宗繁の妹なり