谷川湊
谷川湊
遊女家有
吹飯の南にあり 此地領主桒山法印氏勝慶長年中始て湊を掘て渡海の舩泊とす
法印食禄を太閤秀吉公に受て恩惠を蒙る
故に湊の西の山に祠廟を建て主恩を謝す これを豊國山といふ
秀頼公十二歳にして自豊國大明神の五字を書して法印に賜ふ
今理智院にあり 左に見へたり
此湊桒山の掘初し時より年累りて土砂うち上り埋れしかば 今古湊といふ
其後北の方に新湊を作りてこゝ入舩多し
浮遊女の家ところ〱に見へて三弦の音濵風に音信て面白き湊なり
土佐日記云
とらうの時はかりにぬ志滿といふ所をすきてたなかはといふところをわたる